【2015.6.14】
インディカー・シリーズ第10戦 インディ・トロント
わたしはジョセフ・ニューガーデンを好んでいることを公言しており、その走りについておそらくもっとも日本語を費やしてきた人間だろうと自負もしている――なにせ、google検索してWikipediaの次に表示されるのは昨年書いたこのブログ記事で(※移転前にそういう時期があった)、1万字近い文章であるうえ、その他にもひとつふたつおなじくらいの文字数を書いた記事がある――が、そんな偏りのある目で見ていても、たった一度の偶然にすぎない好機によって気付いたら先頭を走ることになった24歳が、そのままチェッカー・フラッグまで逃げ切ってしまったレースについてどう受け止めていいのかいまだ戸惑いの中にいる。贔屓のドライバーが勝ったのだから喜ばしいかといえばさほど単純なものではなく、つまり今年のアラバマでの初勝利がニューガーデンの恐れを知らない情熱的な本質に支えられた彼だけのためのレースだったのに対して、このトロントは幸運に過ぎて、終わってみればおよそだれが勝っても構いはしないものだったのである。それがたまたまわたしの好むドライバーの名札をつけていただけだ。アラバマが「優勝」で、トロントは「1位」だったと言ってもいい。どんなレースにも1位はいるとはしばしば書いてきたことだが、現象がおなじであることに疑いの余地はなくとも、その精神には大きな隔たりが横たわる。
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インディカー
無聊を慰めるチップ・ガナッシの逆転はシーズンの結末を示唆するだろうか
【2015.6.6】
インディカー・シリーズ第9戦 テキサス・ファイアストン600
フルコース・コーションはたった一度きり、それもどこに落ちていたかついぞ映像として見ることのできなかった「デブリ」によるもので、車が壊れることもだれか事故に見舞われることもなかった――インディアナポリス500の練習走行で何度も危機的な事故があったことを思えば、それ自体は喜ばしい結果というべきだが――テキサスの一夜についてだれかを突っつけば、およそ退屈以外の感想は出てこないかもしれない。もちろん、日が残っている時間帯にすべてを支配しつくしていると見えたチーム・ペンスキーが日没という侘しさの象徴を引き受けたかのように黄昏すぎから勢いを失い、代わってチップ・ガナッシのエース2人が夜の闇を押しのけていくまでに移り変わっていくレースの過程は非常に興味深いものだったとは言える。ポールポジションのウィル・パワーと、それを相手に抵抗さえ許さず先頭を奪い、途中までは3秒近いリードを築いていたシモン・パジェノーの2人が見舞われた無惨と形容していいほどの没落は、刻一刻と変化するオーバルコースに合わせて完璧な全開走行を続けることがいかに途方もない道のりであることを示したものであった。ただ気温と路面温度の低下に伴って生じたその変化はあまりにもおもむろで、レースは本当にいつの間にか、気づいたときにはすでにスコット・ディクソンのものになっており、速さが移り変わった劇的な瞬間などといった興奮も訪れはしなかったのだ。
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語りえぬことに口を開いてもろくなことにはならない
【2015.5.30-31】
インディカー・シリーズ第7-8戦 デュアル・イン・デトロイト
最大の祭典であるインディアナポリス500マイルから5日空いただけでもう次の決勝が始まるのだから、関係者はもちろん、現地からようやく火曜日の夜に帰宅した日本人ならずとも少しは落ち着けと言いたくなろう。天も似たような気持ちだったのかどうか、インディ500には遠慮した雨雲を、大きな利息をつけてデトロイトに引き連れ、混乱に満ちた週末を演出してしまうのだった。土曜日のレース1、日曜日のレース2ともに突きつけられた赤旗は、レースを唯一断ち切る旗としての暴力によって、今季ここまでかろうじて認められてきたシリーズの一貫性を奪い去っていった。このブログはレースにおいて複雑に絡みながらも始まりから終わりまで一本につながる線を見出し、テーマとして取り上げて記していきたいと考えているが、気まぐれな空模様や凹凸だらけの路面、そして数人のドライバーの不躾な振る舞いと楽観的すぎる(あるいは悲観的すぎる)チームの判断は、デトロイトの週末からあらゆる関連性を切り離し、すべての事象に因果のある説明を与えようとする態度を拒否するようだった。なぜレース1でカルロス・ムニョスが勝ち、レース2をセバスチャン・ブルデーが制することになったのか、もちろん原因を分析して答えることは可能だが、その原因に至る道筋にはまったく理解が及ばない。はたして土曜日の始まりには、インディ500がそうであったように、結局チーム・ペンスキーのための、付け加えればこの都市を地元とするシボレーのための催しになるとしか思えなかったダブルヘッダーは、わたしの頭にいくつもの疑問符を残したまま過ぎていこうとしている。
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Back Home Again ではないけれど(インディ500現地観戦記)
【2015.5.24】
インディカー・シリーズ第6戦 第99回インディアナポリス500マイル
いまこの文章を日本に帰国する飛行機の中で書き出している、などと少々格好をつけて綴れようとは、去年ライアン・ハンター=レイがインディアナポリス500を制したときには露ほども考えていなかった。3泊の米国滞在を終えた体は芯から疲れが滲み出てくるようで、まだ12時間以上続く飛行中のほとんどのあいだ、この狭いエコノミークラスの座席で眠ってしまうだろう。機内ですばらしい2日間の体験を最後まで書き上げることはきっとできないが、ともかくわたしは、少なくない量を記してきたインディカーの記録に、空の上で1ページを加えられる幸運に恵まれたのだ。
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明日はまた違う顔
【2015.5.9】
インディカー・シリーズ第5戦 インディアナポリスGP
21世紀におけるインディカーのシリーズ・チャンピオンは例外なくその後あるいはその年にインディアナポリス500マイルを優勝していると書いたのは昨年のことだが、その意味では今年のインディアナポリス・モーター・スピードウェイ=ブリックヤードのヴィクトリー・レーンで牛乳を飲むのはウィル・パワーだろうかと想定してもよい。オーバルコースを苦手とする印象も今は昔、一昨年のフォンタナは類を見ないほどの圧勝劇を演じたのだったし、昨季もシーズンの押し迫ったウィスコンシンで強すぎるほどの優勝を遂げて、過去数年にわたって阻まれ続けてきた王座を自らの下に手繰り寄せた。もとよりロード/ストリートコースの帝王として君臨しつづけてきたパワーにとって、もはやインディカーでやり残したことはたったひとつだけになり、そしてそのための準備はすべて整っているようだ。彼がインディ500を制したとき、ひとりのドライバーの完璧な最後の一頁が書き上げられる瞬間を全員が目撃することになるのだろう。
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約束された初優勝、あるいは円弧の上のジョセフ・ニューガーデン
【2015.4.26】
インディカー・シリーズ第4戦 アラバマGP
どうやらフロントウイングの角度を調整しようとしたクルーの手の動きを発進の合図と勘違いしたのだろうというのが、日本でのレース中継を解説していた小倉茂徳の見立てだった。その解説が現象のすべてを完全に説明できていたかどうかははっきりしないが、いずれにせよタイヤ交換と給油を終えてピットから出ようとしたカーペンター・フィッシャー・ハートマン・レーシング67号車のクラッチがうまく繋がらず、車全体が不快そうに揺れるとともにエンジンが失速してあやうく止まりかけたのは目の前の事実で、その瞬間、いくつかのレースの記憶が鮮明に蘇ってああまたしてもこうなってしまうのかと悲嘆の声を上げてしまっている。ジョセフ・ニューガーデンがこんな目に遭うのは何回目かわからないものの、前回の悲劇ははっきりと記憶に残っていて、なぜなら息を凝らすほどに美しかった彼の走りがピットクルーの愚かな不作為によってはしなくも断ち切られた昨年のミッドオハイオは、まだほんの7レース前にすぎないのだ。この短期間に彼はふたたび勝てそうなレースを迎え、ふたたびピットでの拙い動きによってその機会を奪われようとしていた。
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8月のエリオ・カストロネベスが祝福されるのなら
【2015.4.19】
インディカー・シリーズ第3戦 ロングビーチGP
ほんの1週間前、ルイジアナGPのことを書いた記事で、意味を求められない2位を得てしまったエリオ・カストロネベスについて、舞い込んできた結果の幸運さゆえにむしろ今後を信じきれないと結んだとき、当の本人はすでにロングビーチでポールポジションを獲得したあとだったのだ。だれよりも短い時間で純粋にたった1周を走りきる速さはわたしの不明をみごとに嗤笑し、記事はもっとも冴えたやりかたで浅はかさを証明されたといって構わないわけであるが、しかし予選結果を知ったうえでなお、わたしはノーラ・モータースポーツ・パークでの週末から導く今季の展望がなんら変わるものではなく、当初の予定どおりその小文を書き上げることに躊躇する必要はないと確信を持っていた。
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歓迎すべきか、忘れるべきか
【2015.4.12】
インディカー・シリーズ第2戦 ルイジアナGP
テレビ画面の向こうに見るかぎり、ルイジアナ州最大の都市ニューオリンズから南西に約10マイル、Lake Cataouatche(カタウアッチ湖と書くのが近いのかどうか、いまひとつ確信は持てない)の北岸に位置するノーラ・モータースポーツ・パークは、4年前に開業したばかりというわりに新しさを感じさせてこないサーキットで、初開催とは思えないほどすんなりインディカー・シリーズの風景になじんでいる。F1で次々と採用されるヘルマン・ティルケ設計のサーキットをはじめ、FIAグレード1に準ずるレーシングコースの多くが正規コースの外まで黒いアスファルトで舗装しているのにすっかり慣らされてしまった身にとって、敷地の大部分が緑で覆われ前近代的な風情を漂わせるノーラはもはや新鮮にさえ映り、これが米国のロードコースのありかたなのだという感慨を呼び起こしもするのだった。
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ペンスキーはその充実によって混乱を呼びうる
【2015.3.29】
インディカー・シリーズ開幕戦 セント・ピーターズバーグGP
村田晴郎が快活な調子でグリーン・フラッグの一声を上げて数秒と経たないうちに、スタート/フィニッシュラインからすぐのターン1、弧を描いて右に曲がりこんでいく最初のコーナーへ、ポールポジションからスタートしたウィル・パワーに続き、赤いターゲット・チップ・ガナッシの2台が並んで入っていこうとしたのだった。内側に2004年の王者トニー・カナーン、外からは2年前の選手権を制したスコット・ディクソンで、内と外が入れ替わる次のターン2での攻防が期待された瞬間、やはりチャンピオン経験を持つ黄色い車のライアン・ハンター=レイが明らかに間に合いようのないタイミングまで減速を遅らせ、回避運動能わずタイヤをロックさせながらカナーンに追突する。直前まで整然とした秩序を保っていた隊列が突如として乱れる中をシモン・パジェノーが涼しい顔で潜り抜け、8番手前後にいた佐藤琢磨も難を逃れて大幅に順位を上げたのだが、スピンした車を回避するときに運悪くフロントウイングを接触して支持を失いかけており、結局交換のためにピットへ向かわざるをえなくなった。事故現場に視線を戻すと、予選で快走を見せて上位にいたジョセフ・ニューガーデンが不運にも行き場をなくして止まってしまい、人差し指を立てた右手を回しながらコースマーシャルに向かって早くエンジンを再始動してくれと懇願するように急かしている。
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敗北を受け入れてそこへ到る道を歩むということ
【2014.8.30】
インディカー・シリーズ最終戦 MAVTV500
レースを解釈する方法など勝手で、どういった理屈であっても付けようと思えば付けられるものだが、とくに最終戦のことをぼんやり考えるにあたっては、その年のシーズン全体をついひとつのレースに投影させてしまうことを避けて通れないようだ。フォンタナの予選が終わってから決勝のグリーン・フラッグが振られた直後までのあいだ、シーズン後半になると中継の画面にしばしば登場する「Points as They Run」――今走っているのと同じ、すなわち現状の順位のままレースが終わったと仮定した場合に得られる仮想のポイント――はエリオ・カストロネベスがチームメイトのウィル・パワーを逆転しチャンピオンになることを示していたが、その状態を500マイルも先のゴールまで維持し続けるという果てしない運動を想起したとき、来年40歳を迎えんとするベテランの走りがポール・ポジションを獲得するほどの潜在能力を持っていたにもかかわらずあまりに弱々しく頼りないものだと気付かされるまで、そう時間はかからなかった。1周目の半ばで早くももう一人の同僚であるファン=パブロ・モントーヤに先頭を譲ると、2~5周目にはなんとかその座を取り戻したものの、6周目以降は集団に呑まれて苦しい順位争いにさらされるなど、結局のところ選手権を逆転するためにほとんど絶対の条件だと思われた優勝を期待させるスピードを持つには至らずレースは進んでいった。当初モントーヤとの先頭交代を繰り返して燃費を稼ぐ作戦かとも勘違いさせるほどあっさりとポジションを譲ったのは、結局それが掛け値ない実力にすぎなかったのだった。ゴールが十分に近づいてきたと言っていい144周目から178周目の比較的長い間ラップリードを刻んで、傍目にはもう一度チャンスを得たかもしれないと思われていた時間帯でさえ、カストロネベスの選手権は具体的な形を伴うことなく茫漠なままで、最後には例年に比べ全体的に多かったペナルティを自分自身が受けたことによって、チェッカー・フラッグが振られるより一足先に、本当に手にしたかったもの、つまりこのレースの優勝ではなく選手権を得るための戦いは掻き消えていったのである。守る手立てのない仮初めのリーダーの座と、実を結ぶことのない淡い希望、あるいは計算上の可能性よりもずっと小さな現実の蓋然性。フォンタナに横溢したカストロネベスのありかたはそう表現できるものだった。そして、だとするならば2014年のインディカー・シリーズもまたそんなシーズンだったのだと、両者を重ね合わせずにはいられないでいる。
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