ウィル・パワーの表裏

【2021.8.14】
インディカー・シリーズ第12戦

ビッグ・マシン・スパイクド・コーラーGP
(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ・ロードコース)

夏になって、ふたたびインディアナポリスのロードコースに戻ってきたインディカーは、淡々と周回を過ごしていった。今季3度目となるポール・ポジションを獲得したパト・オワードはすでにインディカーで最上位の速さを持っていることを完全に証明してみせたのだが、レースをスタートするタイヤの選択が明暗を分けることになった。薄い雲が広がる夏らしくない空の下、グリップに優れる柔らかいオルタネートタイヤでスタートしたオワードは、プライマリータイヤを選んだウィル・パワーに対して15分のうちに9秒の差を築いたのだったが、最初のピットストップで規則が要請する義務に基づいてそれぞれが異なるタイヤに換えただけのことで立場はたやすく反転し、2人の差は見る間に縮まっていったかと思うと、18周目のターン12、つまりインフィールド区間からオーバル区間へと戻ったあと、また一時的にインフィールドへと入っていくための直角コーナーで、すでにグリップが怪しく見えて走行ラインを収められないオワードのインへとパワーが躊躇なく飛び込んで、抵抗の機会も与えずに斬り伏せたのだった。切り返しのターン13を過ぎて、ふたたびオーバル路へと入っていくターン14でもトラクションの差は酷なほど歴然としており、フロントストレートでドラフティングにつくことも能わずオワードの車載カメラが捉えるパワーの姿はどんどん小さくなって、ターン1の先へ去っていく。この50秒ほどのうちに2人の関係は決着し、そしてレースの行方も決まった。それだけのレースと言ってもよかった。少し前のころには、ターン1でマックス・チルトンから強引な仕掛けを敢行されたジョセフ・ニューガーデンが、機転を利かせて自らコース外へと回避し、最悪の事態を免れている。インを差したチルトン自身までが芝生に飛び出しながら相手を追い抜いたのだからいくらなんでもむちゃくちゃに見えたが、レース・コントロールは特になにも言わなかった。時おりこういった事態がさざ波にレースを揺らし、しかしそれもまたすぐに凪いで、ふたたびインディアナポリスのロードコースに戻ってきたインディカーは淡々と周回を過ごしていった。

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ポールシッターが、ようやく正しいレースをした日

【2021.4.25】
インディカー・シリーズ第2戦

ファイアストンGPオブ・セント・ピーターズバーグ
(セント・ピーターズバーグ市街地コース)

たとえば、日本のF1中継で解説者を務める川井一仁が好んで口にするような言い方で、こんな「データ」を提示してみるのはどうだろう――過去10年、セント・ピーターズバーグでは予選1位のドライバーがただの一度も優勝できていないんです、最後のポール・トゥ・ウィンは2010年まで遡らなければなりません。“川井ちゃん”なら直後に自分自身で「まあただのデータですけど」ととぼけてみせる(数学的素養の高い彼のことだから、条件の違う10回程度のサンプルから得られた結果に統計的意味がないことなどわかっているのだ。ただそれでも言わずにいられないのがきっとデータ魔の面目躍如なのだろう)様子が目に浮かぶところだが、ともかくそんなふうに過去の傾向を聞かされると、飛行場の滑走路と公道を組み合わせたセント・ピーターズバーグ市街地コースには、逃げ切りを失敗させる素人にわからない深遠な要因が潜んでいると思えてはこないか。

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不測のコーションが、またひとつ日常をもたらす

【2020.7.4】
インディカー・シリーズ第2戦 GMRGP
(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ・ロードコース)

昨年の5月、フランス人として99年ぶりにインディアナポリス500マイルを優勝したシモン・パジェノーは、その2週間前に同じコースのインフィールド区間を使用して行われるインディカーGPを制している。その前の年、2018年のウィル・パワーもまた、同じくインディカーGPとインディ500をともに手にして、歓喜の5月に身を沈めた。まだ世界がこんなふうになるとは思いもしなかったころだ。パジェノーは最終周のバックストレートで走行ラインを4度も変える決死の防御を実らせた果てに、一方パワーはフルコース・コーションに賭けた伏兵が燃料切れになってピットへ退いた後に、チェッカー・フラッグのはためくフィニッシュラインを真っ先に通過していった。激動、あるいは静謐。対照的な幕切れは、しかしどちらも感動的で感傷に溢れた、見る者の涙を誘う初優勝だった。インディカーのあらゆる感情は、5月に溢れ出して引いていく。

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ウィル・パワーの復活は2年前の自分に随伴していた

【2019.8.18】
インディカー・シリーズ第14戦 ABCサプライ500
(ポコノ・レースウェイ)

最近、どうも昔話を書きすぎていると思う。ただしかたあるまい、インディカーを走るドライバーたちの振る舞いが、否応なくまるで過去から照射された光線によって投げかけられた影であるかのように見えるのだから。ミッドオハイオのジョセフ・ニューガーデン、インディアナポリス500マイルにおけるシモン・パジェノー、ウィル・パワーが演ずるトロント。ロングビーチに見たアレキサンダー・ロッシの柔らかい挙動もあるいはそうだった。モータースポーツとはそういうものだろう。おなじ場所を、毎年飽きもせず、何十周、何百周とただ回り続ける競技。なじみのない人々にとって奇異な行為にさえ映るらしい単調な繰り返しは、しかしむしろおなじ動作を高度に繰り返す、反復しているからこそ、その場所に重層的な歴史を形成し、記憶の索引としての機能を獲得する。「いま、このレース」を見つめるたびに、「あのときの、あのレース」の瞬間が鮮明に蘇って美しい重なりを生む。おなじコーナーにおなじ運動が再起し、おなじ場面を浮かび上がらせてまた消える。そんなふうに、彼らドライバーは、またわたしたち観客自身が、レースという営為の中に過去と現在とが対応する写像を作るのだ。そこに流れる時間を、物語を味わう愉悦が、きっとこの競技にはある。だから、今回もまず2017年のトライオーバルについて思い出さねばならない。ウィル・パワー、すなわちオーバルで勝つべきドライバーが、紆余曲折を経て正しい結果を得た500マイルの長いレース。やがてインディ500を優勝する未来をはっきりと確信させ、9ヵ月後に本当に実現させる契機となりえた、ポコノ・レースウェイでの戦慄すべき速さについて。

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ウィル・パワーは速さの内にある精神を暴かれた

【2019.7.20】
インディカー・シリーズ第12戦 アイオワ300
(アイオワ・スピードウェイ)

先週のトロントでウィル・パワーが犯した2度のミスについて考えると、批判的に溜息をつくよりまず悲痛の念が先に立つ。傍目にはとうてい無理なパッシングに臨んで周囲を巻き込みながら事故に至った暴発的な運動も、ブレーキをロックさせてタイヤバリアへほとんど垂直に突き刺さる単純な失策も、彼がいま直面している状況と、困難をなんとしてでも打破したいと切に願う気持ちを思えばありうべきことだと同情的に受け止めたくなる。まして、フロントノーズがバリアに深く食い込むに至りながらもなお諦めきれずに脱出を試み、一帯に白煙が立ち込めるほどタイヤを激しくホイルスピンさせつつ後退しようとして果たせなかったその姿を見れば、彼を支配する感情が、周囲に悪意をばらまく苛立ちではなく、ただ自身の内側に向いたやるせない寂寥感なのではないかと想像して、観客側でしかない人間でさえ心を痛めてしまうのだ。今日もまた、これまでとおなじように、なにも成すことができなかったという失望。もはや笑うしかない諦め。そうした哀愁が、不調に陥ったときのパワーからはよく見える。見えすぎると言ってもいいだろう。そのありかたはシリーズ・チャンピオンとインディアナポリス500マイルの両方を手中に収めた稀代のドライバーをことさら人間的な魅力で彩るが、同時に才能の鋭さとは裏腹の弱点として彼を突き刺している。

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ウィル・パワーの心はターン8の白煙とともに立ち上る

【2019.7.14】
インディカー・シリーズ第11戦 ホンダ・インディ・トロント
(トロント市街地コース)

2013年の夏を思い出す。トロントを舞台とした市街地レースはこの一時期だけ、デトロイトと同様に週末2度の決勝を行っていた。からりとした――というのは映像からの想像だが――快晴であったことが妙に記憶に残る土曜日のレース1が最終周回の85周目にいたったターン3の入り口で、彼は3位を争う眼前の相手が閉ざしている狭い空間に向かって無謀としか見えないブレーキングを敢行し、予感のとおりに姿勢を乱した。バックストレート終端手前の、わずかに折れ曲がっている形状を利用して防御を図った相手の居場所を文字どおりこじ開けながら飛びこんだすえに、遅すぎるブレーキの初期制動でぐらついて相手の右リアホイールに自分の左フロントホイールを接触させ、そのままふらふらと焦点の定まらない挙動で直角コーナーを曲がろうとして果たせず、虚しくもタイヤバリアへと突き刺さったのだ。当てられた側のダリオ・フランキッティは制御を失った相手を一瞥して走り去り、後続も何事もなく傍らを抜けていった。すべての車が過ぎゆきて、彼はターン3にただひとり取り残される。最終周だからもうここを通るものはなく、レースは事故を無視するかのようにフルコース・コーションを出さないままチェッカー・フラッグを迎え入れた。すでに選手権の可能性がはるか遠のき、目標を見失っていただろうウィル・パワーが、精神の遣り場をなくして破滅的な機動に身を投じた、そう解釈したくなる一幕だった。

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あるいはF1であったなら

サーキット・オブ・ジ・アメリカズ

【2019.3.24】
インディカー・シリーズ第2戦 インディカー・クラシック
(サーキット・オブ・ジ・アメリカズ)

2019年のインディカー・シリーズのカレンダーにCOTAと略称されるサーキット・オブ・ジ・アメリカズが加わると報じられたとき、それがインディカーに似合いの舞台であるのかどうか、疑問に思わないではなかった。F1アメリカGPの開催地であるCOTAが、計画のはじまりからF1誘致を大前提として建設された、まさにF1のためのコースであることはよく知られていよう。いまや新規F1サーキット設計のほぼすべてを手がけるヘルマン・ティルケが描いたそのレイアウトは、シルバーストンのマゴッツ-べケッツ-チャペルコーナーと続く高速S字区間、ホッケンハイム後半のスタジアムセクション、イスタンブールのターン8といった世界に名だたるサーキットの名所がモチーフとしてちりばめられた屈指の難コースとして評価が高い。時代の最先端をゆくFIAのグレード1サーキットにふさわしく、広く舗装の施されたランオフエリアが用意されるなど高度な安全性が確保された光景が広がり、インディカーの日常、つまり壁に囲まれた市街地コースや、砂と芝生でコースから外れた車を捕まえる古典的なロードコース、そしてもちろんシンプルな楕円のオーバルコースとは趣を異にしている。米国に位置しながら、極度に欧州化された異質のサーキット。そこでのレースははたしてインディカーたりうるのだろうか。なにせガレージの仕様からして「欧州規格」であり、インディカーは「インディカー・クラシック」と名付けられたシリーズ第2戦の開催にあたって自分たちの用に適うピットとするために仮設の壁を設置する必要に迫られたほどだったのである。

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2019年の開幕に現れたのは、2010年代に描かれたいくつかの物語だった

Photo by : Joe Skibinski

【2019.3.10】
インディカー・シリーズ開幕戦 セント・ピーターズバーグGP
(セント・ピーターズバーグ市街地コース)

連続する時間の流れをどこかで区切ろうとするのはけっして自然なものではなく、人間の勝手な都合による社会的行為というべきだろう。たとえば、まもなく変更される日本の元号と西暦の関係を考えれば明らかだ。日本人がこの30年間を「平成」という時代として捉えて終わりを惜しみ、なにか特有の世相があったはずだと回顧している一方で、和暦とまったく無縁な外国人にとってみれば2019年5月1日に前後を分ける境界線が見えるはずもないのだから。あるいは「’90年代」「’10年代」といった具合に、しばしば西暦の10の位をもってひとつの年代に纏めてしまう場合があるが、その10年間は「昭和50年代」「平成20年代」といった和暦の10年間とは一致しない。われわれはときに昭和40年代と50年代になにか必然的な差異があったかのように振る舞うにもかかわらず、両者を5年ずつ含んでいる1980年代と’90年代の違いにも意味があるようにてらいなく線を引く。結局、その区別は語り手の問題だ。われわれはその時々によってどうとでも設定しうる区切りを都合よく摘み上げ、採用しているにすぎない。時代とはつねに恣意的な物語、自然にある科学ではなくて創作なのである。

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ウィル・パワーのオーバルは正しさに満ちている

Will Power begins the celebration on pit lane after winning the Bommarito Automotive Group 500 at Gateway Motorsports Park -- Photo by: Chris Owens

Photo by: Chris Owens

【2018.8.27】
インディカー・シリーズ第15戦 ボンマリート・オートモーティヴ・グループ500(ゲートウェイ)

118周目にピットへと戻ったシモン・パジェノーは給油を受けながら4輪の交換を終えた、左フロントタイヤ担当のメカニックがフロントウイング脇のノブをつかんで回すのが見える。時計回りに半回転、つまりウイングを立てて前輪のグリップを増やそうと試みている。続けて回そうとしているようにも思えたが、その先はわからない。画面が突如としてホームストレートに切り替わり、ウィル・パワーが気づけばスコット・ディクソンのすぐ背後についているのだ。それは瞬間的に見れば少しばかり奇妙な映像で、前後の2台が観客席側のレコードラインを当然のこととして走っているのに、この2人はそこから大きく外れ、コースとピットロードを隔てるコンクリート壁のすぐ脇で戦っている、ディクソンが内側を差されないためにラインを変え、パワーが追随した結果だろう。通常だれも通ることのないその場所はレースの半分近くを消化したいま細かい埃がすっかり積もっており、タイヤの回転によって灰色の塵がぱっと高く舞い上がる。観客席の上から投げかけられる照明が進行方向の左側、画面向かって右に黒い影を落とし、またピットレーンに並べられた低い位置の照明によって反対方向には薄く長い影が伸びている。ターン1が迫り、パワーは一瞬早くディクソンの背後から抜け出すとほんの1秒のうちにコースの大外までラインを戻す、ディクソンも動きを合わせるが、対応が遅れて外から並びかけられる。すぐ後ろではずっとレコードラインを走っていたアレキサンダー・ロッシが危険な動きを避けるように進路をやや外に向けている。先にディクソンの長く薄い影がパワーにかぶさり、すぐさまパワーの短く濃い影が接近して2つの影が重なったかと思うとターン1へと進入していった。オーバルコースにしては珍しく赤と白に塗り分けられたゲートウェイ・モーター・スポーツパークの縁石すぐそばをかすめるディクソンにパワーが覆いかぶさろうとするとき、今度は守るディクソンの車載映像へと画面が変わる。2台が並べていたのはわずかな時間のことだ。最適なラインを無視して速度だけで相手を抑え込もうとしたパワーだったが、遠心力に負けて徐々にコーナーの内側から軌道が剥離していき、グリップの限界を越えたとたんにすべての勢いをなくして失速するさまがはっきりと映し出されたかと思うと、須臾のうちにその姿ははるか後方へと消え去ってしまうのだった。
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インディ500に愛されるまで、ウィル・パワーは物語を書きつづけた

ウィル・パワー Photo by Chris Jones
Photo by: Chris Jone

【2018.5.27】
インディカー・シリーズ第6戦 第102回インディアナポリス500マイル

 サム・ホーニッシュJr.がインディ・レーシング・リーグ、すなわち現在のインディカー・シリーズで年間王者の座に就いたのは2001年のことである。かつて米国で「インディカー」を担い国際的な色彩を帯びていたCART選手権に対し、米国的なものへの回帰を求めたインディアナポリス・モーター・スピードウェイが離脱を表明してから5年以上が経過していた。設立初年度は3レースしか行われず、急ごしらえのチームが無名なドライバーを走らせるばかりのIRLだったが、オーバルレースだけで構成するシリーズのコンセプトと、母体であるIMSが有する世界最大の祭典――インディアナポリス500マイルの威光によって少しずつ有力チームやドライバーを引き寄せ、大きな勢力へと成長していたころだと思い出せるだろう。一方で商標権にまつわる契約を巡ってCARTと法廷で争った末に設定された冷却期間が続いており、インディ500を中心に据えているにもかかわらず公式には「インディカー」を名乗れなかった難しい時期でもあった。
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