【2015.5.9】
インディカー・シリーズ第5戦 インディアナポリスGP
21世紀におけるインディカーのシリーズ・チャンピオンは例外なくその後あるいはその年にインディアナポリス500マイルを優勝していると書いたのは昨年のことだが、その意味では今年のインディアナポリス・モーター・スピードウェイ=ブリックヤードのヴィクトリー・レーンで牛乳を飲むのはウィル・パワーだろうかと想定してもよい。オーバルコースを苦手とする印象も今は昔、一昨年のフォンタナは類を見ないほどの圧勝劇を演じたのだったし、昨季もシーズンの押し迫ったウィスコンシンで強すぎるほどの優勝を遂げて、過去数年にわたって阻まれ続けてきた王座を自らの下に手繰り寄せた。もとよりロード/ストリートコースの帝王として君臨しつづけてきたパワーにとって、もはやインディカーでやり残したことはたったひとつだけになり、そしてそのための準備はすべて整っているようだ。彼がインディ500を制したとき、ひとりのドライバーの完璧な最後の一頁が書き上げられる瞬間を全員が目撃することになるのだろう。
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作成者: DNF
約束された初優勝、あるいは円弧の上のジョセフ・ニューガーデン
【2015.4.26】
インディカー・シリーズ第4戦 アラバマGP
どうやらフロントウイングの角度を調整しようとしたクルーの手の動きを発進の合図と勘違いしたのだろうというのが、日本でのレース中継を解説していた小倉茂徳の見立てだった。その解説が現象のすべてを完全に説明できていたかどうかははっきりしないが、いずれにせよタイヤ交換と給油を終えてピットから出ようとしたカーペンター・フィッシャー・ハートマン・レーシング67号車のクラッチがうまく繋がらず、車全体が不快そうに揺れるとともにエンジンが失速してあやうく止まりかけたのは目の前の事実で、その瞬間、いくつかのレースの記憶が鮮明に蘇ってああまたしてもこうなってしまうのかと悲嘆の声を上げてしまっている。ジョセフ・ニューガーデンがこんな目に遭うのは何回目かわからないものの、前回の悲劇ははっきりと記憶に残っていて、なぜなら息を凝らすほどに美しかった彼の走りがピットクルーの愚かな不作為によってはしなくも断ち切られた昨年のミッドオハイオは、まだほんの7レース前にすぎないのだ。この短期間に彼はふたたび勝てそうなレースを迎え、ふたたびピットでの拙い動きによってその機会を奪われようとしていた。
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8月のエリオ・カストロネベスが祝福されるのなら
【2015.4.19】
インディカー・シリーズ第3戦 ロングビーチGP
ほんの1週間前、ルイジアナGPのことを書いた記事で、意味を求められない2位を得てしまったエリオ・カストロネベスについて、舞い込んできた結果の幸運さゆえにむしろ今後を信じきれないと結んだとき、当の本人はすでにロングビーチでポールポジションを獲得したあとだったのだ。だれよりも短い時間で純粋にたった1周を走りきる速さはわたしの不明をみごとに嗤笑し、記事はもっとも冴えたやりかたで浅はかさを証明されたといって構わないわけであるが、しかし予選結果を知ったうえでなお、わたしはノーラ・モータースポーツ・パークでの週末から導く今季の展望がなんら変わるものではなく、当初の予定どおりその小文を書き上げることに躊躇する必要はないと確信を持っていた。
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歓迎すべきか、忘れるべきか
【2015.4.12】
インディカー・シリーズ第2戦 ルイジアナGP
テレビ画面の向こうに見るかぎり、ルイジアナ州最大の都市ニューオリンズから南西に約10マイル、Lake Cataouatche(カタウアッチ湖と書くのが近いのかどうか、いまひとつ確信は持てない)の北岸に位置するノーラ・モータースポーツ・パークは、4年前に開業したばかりというわりに新しさを感じさせてこないサーキットで、初開催とは思えないほどすんなりインディカー・シリーズの風景になじんでいる。F1で次々と採用されるヘルマン・ティルケ設計のサーキットをはじめ、FIAグレード1に準ずるレーシングコースの多くが正規コースの外まで黒いアスファルトで舗装しているのにすっかり慣らされてしまった身にとって、敷地の大部分が緑で覆われ前近代的な風情を漂わせるノーラはもはや新鮮にさえ映り、これが米国のロードコースのありかたなのだという感慨を呼び起こしもするのだった。
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ペンスキーはその充実によって混乱を呼びうる
【2015.3.29】
インディカー・シリーズ開幕戦 セント・ピーターズバーグGP
村田晴郎が快活な調子でグリーン・フラッグの一声を上げて数秒と経たないうちに、スタート/フィニッシュラインからすぐのターン1、弧を描いて右に曲がりこんでいく最初のコーナーへ、ポールポジションからスタートしたウィル・パワーに続き、赤いターゲット・チップ・ガナッシの2台が並んで入っていこうとしたのだった。内側に2004年の王者トニー・カナーン、外からは2年前の選手権を制したスコット・ディクソンで、内と外が入れ替わる次のターン2での攻防が期待された瞬間、やはりチャンピオン経験を持つ黄色い車のライアン・ハンター=レイが明らかに間に合いようのないタイミングまで減速を遅らせ、回避運動能わずタイヤをロックさせながらカナーンに追突する。直前まで整然とした秩序を保っていた隊列が突如として乱れる中をシモン・パジェノーが涼しい顔で潜り抜け、8番手前後にいた佐藤琢磨も難を逃れて大幅に順位を上げたのだが、スピンした車を回避するときに運悪くフロントウイングを接触して支持を失いかけており、結局交換のためにピットへ向かわざるをえなくなった。事故現場に視線を戻すと、予選で快走を見せて上位にいたジョセフ・ニューガーデンが不運にも行き場をなくして止まってしまい、人差し指を立てた右手を回しながらコースマーシャルに向かって早くエンジンを再始動してくれと懇願するように急かしている。
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小林可夢偉は10年遅れのヤルノ・トゥルーリだったのだ――さよなら大好きなフォーミュラ1
2014年のF1が閉幕を迎えると、当初から予想されていたとおり、グリッド上唯一の日本人ドライバーだった小林可夢偉はそのシートを失った。ケータハムの車はサーキットでつねに最も遅く、その中で小林はチームメイトの新人マーカス・エリクソンを圧倒し、時に予選でライバルであるマルシャのマックス・チルトンを破る抵抗も見せたが、最後尾でのささやかな活躍が2015年のシートに繋がる可能性を信じられた人はたぶんほとんどいなかったし、事実移籍先を見つけられることなく、日本のスーパーフォーミュラへと戦いの場を移すことになった。2012年に一度シートを失い、細い糸をかろうじて手繰って手に入れた居場所の、再度の喪失である。近年の情勢からいって復帰への道はきわめて厳しく、彼のF1での戦いにはひとまず終止符が打たれたと言わざるをえない。新たな世代がのし上がってこないかぎり、日本人ドライバーのいないF1サーカスはしばらく続くことになる。
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2014年F1参戦ドライバーの仮定スーパーライセンスポイント
この記事は、別掲「小林可夢偉は10年遅れのヤルノ・トゥルーリだったのだ――さよなら大好きなフォーミュラ1」の参照ページです。2016年度からスーパーライセンス交付基準に下位カテゴリーの実績に応じて付与されるポイントが適用されるとの決定に合わせ、2014年に参戦したドライバーがF1デビュー直前の3年間でどれだけのポイントを獲得したかを推計しました。詳しくは本文を参照していただきたいのですが、ペイドライバーと言われている若手の多くが基準の40点をクリアしている一方で、チャンピオン経験者がハミルトンを除いて軒並み達していないのが興味深いところでしょう。
■セバスチャン・ベッテル(07年デビュー)
06年 F3ユーロシリーズ(ヨーロッパF3の前身) 2位(30点)
05年 F3ユーロシリーズ 5位(8点)
04年 フォーミュラBMW 1位(0点)
計38点→×
■ダニエル・リカルド(11年デビュー)
10年 フォーミュラ・ルノー3.5 2位(20点)
09年 英国F3 1位(10点)
08年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 2位(7点)
(※2011年フォーミュラ・ルノー3.5 5位)
計37点→×
■ルイス・ハミルトン(07年デビュー)
06年 GP2 1位(50点)
05年 F3ユーロシリーズ 1位(40点)
04年 F3ユーロシリーズ 5位(8点)
計98点→◯
■ニコ・ロズベルグ(06年デビュー)
05年 GP2 1位(50点)
04年 F3ユーロシリーズ 4位(10点)
03年 F3ユーロシリーズ 8位(3点)
計63点→◯
■フェルナンド・アロンソ(01年デビュー)
00年 国際F3000(=GP2相当?) 4位(20点)
99年 フォーミュラ・ニッサン(国内F3相当?) 1位(10点)
98年 カート(0点)
計30点→×
■キミ・ライコネン(01年デビュー)
00年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 7位(0点)
99年 フォーミュラ・ルノー2.0 英国ウインターカップ 1位(0点)
98年 カート(0点)
計0点→×
■ロマン・グロジャン(09年デビュー)
08年 GP2 4位(20点)
07年 F3ユーロシリーズ 1位(40点)
06年 F3ユーロシリーズ 13位(0点)
計60点→◯
■パストール・マルドナード(11年デビュー)
10年 GP2 1位(50点)
09年 GP2 6位(8点)
08年 GP2 11位(0点)
計58点→◯
■ジェンソン・バトン(00年デビュー)
99年 英国F3 3位(5点)
98年 英国フォーミュラ・フォード 1位(0点)
97年 カート(0点)
計5点→×
■ケビン・マグヌッセン(14年デビュー)
13年 フォーミュラ・ルノー3.5 1位(30点)
12年 フォーミュラ・ルノー3.5 7位(3点)
11年 英国F3 2位(7点)
計40点→◯
■ニコ・ヒュルケンベルグ(10年デビュー)
09年 GP2 1位(50点)
08年 F3ユーロシリーズ 1位(40点)
07年 F3ユーロシリーズ 3位(20点)
計110点→◯
■セルジオ・ペレス(11年デビュー)
10年 GP2 2位(40点)
09年 GP2 12位(0点)
08年 英国F3 4位(2点)
計42点→◯
■エイドリアン・スーティル(07年デビュー)
06年 全日本F3 1位(10点)
05年 F3ユーロシリーズ 2位(30点)
04年 F3ユーロシリーズ 17位(0点)
計40点→◯
■エステバン・グティエレス(13年デビュー)
12年 GP2 3位(30点)
11年 GP2 13位(0点)
10年 GP3 1位(40点)
計70点→◯
■ジャン=エリック・ベルニュ(12年デビュー)
11年 フォーミュラ・ルノー3.5 2位(20点)
10年 英国F3 1位(10点)
09年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 2位(7点)
計37点→×
■ダニール・クビアト(14年デビュー)
13年 GP3 1位(40点)
12年 フォーミュラ・ルノー2.0 Alps 1位(10点)
12年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 2位(7点)
11年 フォーミュラ・ルノー2.0 NEC 2位(7点)
11年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 2位(5点)
計69点→◯
■フェリペ・マッサ(02年デビュー)
01年 ユーロF3000(AUTO GPの前身) 1位(0点)
00年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 1位(10点)
99年 フォーミュラ・シボレー・ブラジル 1位(0点)
計10点→×
■バルテリ・ボッタス(13年デビュー)
12年 なし(ウィリアムズのテストドライバー専念)
11年 GP3 1位(40点)
10年 F3ユーロシリーズ 3位(20点)
計60点→◯
■ジュール・ビアンキ(13年デビュー)
12年 フォーミュラ・ルノー3.5 2位(20点)
11年 GP2 3位(30点)
10年 GP2 3位(30点)
計80点→◯
■マックス・チルトン(13年デビュー)
12年 GP2 4位(20点)
11年 GP2 20位(0点)
10年 GP2 25位(0点)
計20点→◯
■小林可夢偉(09年デビュー)
08年 GP2 16位(0点)
07年 F3ユーロシリーズ 4位(10点)
06年 F3ユーロシリーズ 8位(3点)
計13点→×
■アンドレ・ロッテラー(14年デビュー)
13年 WEC LMP1 2位(30点)
13年 スーパーフォーミュラ 2位(15点)
12年 WEC LMP1 1位(40点)
12年 フォーミュラ・ニッポン(SFに相当) 4位(7点)
11年 フォーミュラ・ニッポン 1位(20点)
計112点→◯
■マーカス・エリクソン(14年デビュー)
13年 GP2 6位(8点)
12年 GP2 8位(4点)
11年 GP2 10位(2点)
計14点→×
■ウィル・スティーブンス(14年デビュー)
13年 フォーミュラ・ルノー3.5 4位(10点)
12年 フォーミュラ・ルノー3.5 12位(0点)
11年 フォーミュラ・ルノー2.0 14位(0点)
計10点→×
敗北を受け入れてそこへ到る道を歩むということ
【2014.8.30】
インディカー・シリーズ最終戦 MAVTV500
レースを解釈する方法など勝手で、どういった理屈であっても付けようと思えば付けられるものだが、とくに最終戦のことをぼんやり考えるにあたっては、その年のシーズン全体をついひとつのレースに投影させてしまうことを避けて通れないようだ。フォンタナの予選が終わってから決勝のグリーン・フラッグが振られた直後までのあいだ、シーズン後半になると中継の画面にしばしば登場する「Points as They Run」――今走っているのと同じ、すなわち現状の順位のままレースが終わったと仮定した場合に得られる仮想のポイント――はエリオ・カストロネベスがチームメイトのウィル・パワーを逆転しチャンピオンになることを示していたが、その状態を500マイルも先のゴールまで維持し続けるという果てしない運動を想起したとき、来年40歳を迎えんとするベテランの走りがポール・ポジションを獲得するほどの潜在能力を持っていたにもかかわらずあまりに弱々しく頼りないものだと気付かされるまで、そう時間はかからなかった。1周目の半ばで早くももう一人の同僚であるファン=パブロ・モントーヤに先頭を譲ると、2~5周目にはなんとかその座を取り戻したものの、6周目以降は集団に呑まれて苦しい順位争いにさらされるなど、結局のところ選手権を逆転するためにほとんど絶対の条件だと思われた優勝を期待させるスピードを持つには至らずレースは進んでいった。当初モントーヤとの先頭交代を繰り返して燃費を稼ぐ作戦かとも勘違いさせるほどあっさりとポジションを譲ったのは、結局それが掛け値ない実力にすぎなかったのだった。ゴールが十分に近づいてきたと言っていい144周目から178周目の比較的長い間ラップリードを刻んで、傍目にはもう一度チャンスを得たかもしれないと思われていた時間帯でさえ、カストロネベスの選手権は具体的な形を伴うことなく茫漠なままで、最後には例年に比べ全体的に多かったペナルティを自分自身が受けたことによって、チェッカー・フラッグが振られるより一足先に、本当に手にしたかったもの、つまりこのレースの優勝ではなく選手権を得るための戦いは掻き消えていったのである。守る手立てのない仮初めのリーダーの座と、実を結ぶことのない淡い希望、あるいは計算上の可能性よりもずっと小さな現実の蓋然性。フォンタナに横溢したカストロネベスのありかたはそう表現できるものだった。そして、だとするならば2014年のインディカー・シリーズもまたそんなシーズンだったのだと、両者を重ね合わせずにはいられないでいる。
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記憶を抱いて選手権の美しい彩りに焦がれている
【2014.8.24】
インディカー・シリーズ第17戦 ソノマGP
去年のいまごろ、というのは暦そのものではなくインディカーが最終戦を迎えんとするシーズンも押し迫ったころ、という意味だが、そんな時期にわたしはエリオ・カストロネベスについて批判的ととれる記事を繰り返し書いている。6月のテキサスで優勝し選手権のリーダーに浮上した彼が、それからというもの明らかに地位に恋々として保守的な走りに終始するようになり、なによりの魅力である狭いスペースに飛び込んで自らの道を切り開いていく攻撃性と、でありながらまるで険のない愛嬌の両方ともをすっかり失ってしまっていたからで、チャンピオンとはとても呼べそうにない4ヵ月間の振る舞いを「頽廃」の2文字に込めながらインディカーのことを綴っていたのだった。検索してみたところ、6イベントにわたって回顧記事で「頽廃」の語を使用しているのだから、いまにして思えばよほどのキーワードだったようだ。
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ウィル・パワーは己の物語を書き換えるときを迎えている
【2014.8.17】
インディカー・シリーズ第16戦 ウィスコンシン250
わたしにとってはインディカー・シリーズとF1だけがその対象になるのだが、ひとつのカテゴリーをずっと追いかけているとレースで「これから起こること」が大まかに予想できるようになってくるもので、たとえば前回書いたようにジョセフ・ニューガーデンが優れた才能を見せているときに限ってパフォーマンスに見合った結果を得られないことは、過去の経験の積み重ねによって導かれる結論なのだといえる。もちろんそれが統計的・科学的な意味のないバイアスのかかった経験主義であることは承知のうえであり、人間の悪い性として、繰り返される偶然的な悲運に自分勝手な物語を見出してしまっているに過ぎない。しかしたとえばこのミルウォーキーでつねに表彰台を争える位置を走っていたニューガーデンが、ライバルと異なるピット作戦をとったがために希望のない5位に終わった――悪くはない、悪くはないのだが――結果を見ると、どうしても物語に繰り返しの一行を書き加えたくもなってしまう。かつてそうだったように、またしても、彼は勝てるかもしれなかったレースを失ったと。
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