偶然を捉えた先に必然の勝利はある

【2022.8.7】
インディカー・シリーズ第14戦 ビッグ・マシン・ミュージック・シティGP
(ナッシュヴィル市街地コース)

4週連続開催の掉尾を飾るミュージック・シティGPは、いったい何を書いたらよいのかわからないほど、いろいろな出来事が起こりすぎたレースだった。そもそもスタート前に到来した激しい雷雨で1時間以上も進行が遅れたときから波瀾は始まっていたのだ。日本時間の朝4時からテレビの前にいたというのに、チェッカー・フラッグがようやく振られたのは8時半を迎えるころで、すでに暑すぎる一日の気配が忍び寄ってきていた。それにしても、まさか危うくクライマックスを見逃すところになろうとは思ってもみなかった。病院の受診予約が9時だったのである。

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アレックス・パロウの騒動が、スコット・ディクソンの存在を際立たせた

【2022.7.17】
インディカー・シリーズ第10戦 ホンダ・インディ・トロント
(トロント市街地コース)

昨季チップ・ガナッシ・レーシング移籍1年目、キャリア通算でも2年目にしてインディカー・シリーズのチャンピオンを獲得したアレックス・パロウの身辺が騒がしい。7月12日に現所属のチップ・ガナッシがチーム側の契約延長オプションを行使しての来季残留を発表したと思いきや、わずか3時間後にマクラーレン・レーシングがF1テストドライバー就任を含む2023年の契約と活動計画の一部を出す異例の事態になっているのだ。当のパロウもチップ・ガナッシのリリースに記載された自分自身のコメントについて「自分の発言ではないし、発表も承認していない」とツイッターで直接否定し、マクラーレンへのコミットを深めているから穏やかならざる状況である。当然、この動きが単なるチーム間移籍を巡る騒動ではなく、海の向こうのF1を視野に入れたものであることは、「マクラーレン」という名前から容易に想像できる。インディカーにおけるF1関係の話題といえばもっぱらコルトン・ハータやパト・オワードに関する噂が多かったのが、ここに来てにわかに有力な3人目が登場し、舞台を引っ掻き回しはじめたといった次第だろうか。

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予選16位からの逃げ切り

【2022.6.5】
インディカー・シリーズ第7戦 シボレー・デトロイトGP

(ベル・アイル市街地コース)

インディアナポリス500マイルでいいところのなかったジョセフ・ニューガーデンと佐藤琢磨――後者については決勝にかんして、という留保がつこうが――が、ほんの1週間後のデトロイトのスタートでは1列目に並んでいるのだから、つくづくインディカーというのは難しいものだ。世界最高のレースを制したドライバーとなってNASDAQ証券取引所でオープニング・ベルを鳴らしたりヤンキー・スタジアムで始球式を行ったり(野球に縁がなさそうなスウェーデン人らしく、山なりの投球は惜しくも捕手まで届かなかった)、もちろん優勝スピーチを行ったりと多忙なウィークデイを過ごした直後のマーカス・エリクソンは予選のファスト6に届かず8番手に留まり、といってもこれはインディ500の勝者が次のデトロイトで得た予選順位としてはことさら悪くもない。目立つところはなかったものの、決勝の7位だって上々の出来だ。デトロイトGPがインディ500の翌週に置かれるようになってからおおよそ10年、来季からはダウンタウンへと場所を移すためにベル・アイル市街地コースで開催されるのは今回かぎりとなるが、両方を同時に優勝したドライバーはとうとう現れなかった。デトロイトのほうは土日で2レースを走った年も多かったにもかかわらずだ。それどころかたいていの場合、最高の栄冠を頂いた500マイルの勝者は次の週にあっさり2桁順位に沈んできた、と表したほうが実態に近い。ようするに、もとよりスーパー・スピードウェイと凹凸だらけの市街地コースに一貫性があるはずもないのである。フロント・ロウの顔ぶれはそのことをよく示しているだろう。

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ヴィクトリー・レーンへ招かれるために

【2022.5.29】
インディカー・シリーズ第6戦 第106回インディアナポリス500

(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ)

インディアナポリス500マイル――インディ500。その名の響きすら耳から胸奥へと甘美に吸い込まれていく、世界でもっとも偉大なレースに優勝しようとすれば、いったい何を揃えなければならないというのだろう。周囲を圧する図抜けた資質、戦いに赴くための弛みない準備、周囲をも巻き込んで邁進する無限の情熱、恐れを振り払い右足のスロットルペダルを踏み抜く勇気と、しかしけっして死地へは飛び込まない冷静な判断力……もちろん重要だ。これらのうちどれが欠けても、きっと最初にチェッカー・フラッグを受けることは叶わない。だが、と同時に、年を重ねてインディ500を見るという経験がひとつずつ増えるたびにこうも思う。これらのすべてを、いやさらにもっと思いつくかぎりのあらゆる要素を並べてみたところで、結局このすばらしいレースを勝とうとするなどできるはずがないのだと。速さも、強さも、緻密さも、環境も、運さえも、尽くすことのできる人事は全部、33しかないスターティング・グリッドに着き、500マイルをよりよく走るためのたんなる条件にすぎない。その先、世界で唯一の牛乳瓶に手を触れるには、レースのほうが振り向いて手招きしてくれるのを待つ以外に仕方がない。

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スコット・ディクソンは失敗によって姿を現す

【2020.9.12-13】
インディカー・シリーズ第10−11戦

ホンダ・インディ200・アット・ミッドオハイオ
(ミッドオハイオ・スポーツカー・コース)

しょせん素人がテレビの前に座っているだけで抱いた直感などあてにならないものだ。ショートオーバルを舞台としたボンマリート500の週末を見ると、土曜日のレース1では直前のインディアナポリス500マイルを制した佐藤琢磨が知性と速さを両立させた最高の走りを見せてスコット・ディクソンを追い詰めた一方、路面状態が急変した翌日のレース2では2人とも後方へ退けられたのだった。それはまるで、オーバルという緩やかなコースの共通性によって連続していたはずの2つの週末が、路面の変化によって乱されて突然に断ち切られた結果のように思われた。例年ならインディ500の翌週に行われるのは市街地コースのデトロイトなのだ。最初から連続性は明らかに断ち切られており、だから500マイルの歓喜を味わった勝者はほとんどの場合、次の週末には大敗を喫する。偶然の日程変更に見舞われた今年、その断絶はすぐにはやってこなかった。佐藤もディクソンも一貫したオーバルの中にいちどは高度な運動を継続し、しかし固定的なコースレイアウトではなく予測不可能な小さな状況の変化によってようやく、少しだけ遅れて断ち切られたのがボンマリート500の顛末だったと見えたのである。

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断ち切られなかったショートオーバルに佐藤琢磨は500マイルの自分さえ超えていく、あるいは日曜日の蹉跌

【2020.8.29-30】
インディカー・シリーズ第8−9戦

ボンマリート・オートモーティヴ500
(ワールド・ワイド・テクノロジー・レースウェイ)

インディアナポリス500マイルが終わると、少し気の抜けたままに次の週末が訪れる。もっとも偉大な日曜日から間をおかず、翌週にダブルヘッダーのレースが開催される日程はすっかり定番となったが、最高の栄誉に浴したドライバーたちの1週間後はたいてい奮わないようだ。デトロイトで2レースイベントを行うようになった2013年から昨年までの7年間14レースのうち、直前のインディ500優勝者が表彰台に登ったのは2018年レース2のウィル・パワーたった1度きり。1桁順位でゴールしたのも3人で5回だけで、2017年の佐藤琢磨がレース1で8位、レース2で4位に入るまでじつに5年ものあいだ、ベル・アイル市街地コースはことごとく500の勝者を下位へと沈めてきた。

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不測のコーションが、またひとつ日常をもたらす

【2020.7.4】
インディカー・シリーズ第2戦 GMRGP
(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ・ロードコース)

昨年の5月、フランス人として99年ぶりにインディアナポリス500マイルを優勝したシモン・パジェノーは、その2週間前に同じコースのインフィールド区間を使用して行われるインディカーGPを制している。その前の年、2018年のウィル・パワーもまた、同じくインディカーGPとインディ500をともに手にして、歓喜の5月に身を沈めた。まだ世界がこんなふうになるとは思いもしなかったころだ。パジェノーは最終周のバックストレートで走行ラインを4度も変える決死の防御を実らせた果てに、一方パワーはフルコース・コーションに賭けた伏兵が燃料切れになってピットへ退いた後に、チェッカー・フラッグのはためくフィニッシュラインを真っ先に通過していった。激動、あるいは静謐。対照的な幕切れは、しかしどちらも感動的で感傷に溢れた、見る者の涙を誘う初優勝だった。インディカーのあらゆる感情は、5月に溢れ出して引いていく。

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スコット・ディクソンの優勝にインディカーの日常は取り戻される

【2020.6.7】
インディカー・シリーズ開幕戦 ジェネシス300
(テキサス・モーター・スピードウェイ)

6月になった。もちろんこんな形での開幕を望んだわけではなかったし、その理由について触れなければならないことも厭いたくなる。レースはどんなときも自由で、社会のあらゆるしがらみから解放されてただそこにある、だから自分はサーキットに現れる一瞬だけを発見し、切り取り、言語化して書き付ければいいのだとずっと思ってきた。いまその気持ちに変化が生じたわけではないが、世界に新しく拡がった病がレースという営みそのものを想像もしなかった側面から襲い、壊したために、意図的に装っていた純粋さは脆くも崩れてしまった。レースは社会の情勢に左右される――社会はレースを行わない決定をしうる。コースに現れる運動だけがすべてではない。当たり前のことだが、考えたくなかった現実でもある。決定的な解決、とまではいかずとも緩和の手立てが見つかるまで、COVID-19は、ほかの何もかもに対してそうするようにレースをも脅かし続けるだろう。自分の愛する競技に、競技とは別の不純物が不可避に侵入してくる。セント・ピーターズバーグの中止(関係者の努力によって、これはシーズン最終戦への延期へと振り替えられた)が決まった3月12日を境に、すべてはそう変わった。たとえばこのテキサスについて書こうとするなら、枕詞のように「COVID-19の影響でシーズン開幕が延期された2020年インディカー・シリーズの第1戦」と註釈をつけないわけにはいくまい。たかがその程度の感傷が現実の命の危機に比べればとんでもなく軽々しいものだとわかっていても、そう書きつける瞬間に突きつけられるレース以外のなにかに純真を汚される気がして、やるせなくなる。

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裏表のスコット・ディクソンを、過去として見る日がいつか来る

【2019.6.1-2】
インディカー・シリーズ第7/8戦 デトロイト・グランプリ
(ベル・アイル・レースウェイ)

たぶん多くの観客の記憶にはさして残っておらず、またレース結果や形勢にたいした影響を及ぼすでもない、個人の抽斗にしまっておかれるような類の思い出があるとするなら、わたしにとってそのひとつは、以前にも書いたとおり2004年F1中国GPの十何周目かにミハエル・シューマッハがスピンした場面だったりする。当時のわたしはどうにか就職を決めた大学4年生で、いまは休刊になったとあるモータースポーツ雑誌の編集部にDTP制作のアルバイトとして潜り込んでおり、収入は乏しいながらも有料放送の生中継を見られる贅沢な立場なのだった。曇り空に覆われ、明るいとは言えない雰囲気が漂う上海インターナショナルで真っ赤なフェラーリがタイヤスモークを上げたかどうか、ともかくも横を向いたターン13が映し出されて、周囲の大人たちが苦笑いしたかと思う。

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2019年の開幕に現れたのは、2010年代に描かれたいくつかの物語だった

Photo by : Joe Skibinski

【2019.3.10】
インディカー・シリーズ開幕戦 セント・ピーターズバーグGP
(セント・ピーターズバーグ市街地コース)

連続する時間の流れをどこかで区切ろうとするのはけっして自然なものではなく、人間の勝手な都合による社会的行為というべきだろう。たとえば、まもなく変更される日本の元号と西暦の関係を考えれば明らかだ。日本人がこの30年間を「平成」という時代として捉えて終わりを惜しみ、なにか特有の世相があったはずだと回顧している一方で、和暦とまったく無縁な外国人にとってみれば2019年5月1日に前後を分ける境界線が見えるはずもないのだから。あるいは「’90年代」「’10年代」といった具合に、しばしば西暦の10の位をもってひとつの年代に纏めてしまう場合があるが、その10年間は「昭和50年代」「平成20年代」といった和暦の10年間とは一致しない。われわれはときに昭和40年代と50年代になにか必然的な差異があったかのように振る舞うにもかかわらず、両者を5年ずつ含んでいる1980年代と’90年代の違いにも意味があるようにてらいなく線を引く。結局、その区別は語り手の問題だ。われわれはその時々によってどうとでも設定しうる区切りを都合よく摘み上げ、採用しているにすぎない。時代とはつねに恣意的な物語、自然にある科学ではなくて創作なのである。

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