スコット・ディクソンの優勝にインディカーの日常は取り戻される

【2020.6.7】
インディカー・シリーズ開幕戦 ジェネシス300
(テキサス・モーター・スピードウェイ)

6月になった。もちろんこんな形での開幕を望んだわけではなかったし、その理由について触れなければならないことも厭いたくなる。レースはどんなときも自由で、社会のあらゆるしがらみから解放されてただそこにある、だから自分はサーキットに現れる一瞬だけを発見し、切り取り、言語化して書き付ければいいのだとずっと思ってきた。いまその気持ちに変化が生じたわけではないが、世界に新しく拡がった病がレースという営みそのものを想像もしなかった側面から襲い、壊したために、意図的に装っていた純粋さは脆くも崩れてしまった。レースは社会の情勢に左右される――社会はレースを行わない決定をしうる。コースに現れる運動だけがすべてではない。当たり前のことだが、考えたくなかった現実でもある。決定的な解決、とまではいかずとも緩和の手立てが見つかるまで、COVID-19は、ほかの何もかもに対してそうするようにレースをも脅かし続けるだろう。自分の愛する競技に、競技とは別の不純物が不可避に侵入してくる。セント・ピーターズバーグの中止(関係者の努力によって、これはシーズン最終戦への延期へと振り替えられた)が決まった3月12日を境に、すべてはそう変わった。たとえばこのテキサスについて書こうとするなら、枕詞のように「COVID-19の影響でシーズン開幕が延期された2020年インディカー・シリーズの第1戦」と註釈をつけないわけにはいくまい。たかがその程度の感傷が現実の命の危機に比べればとんでもなく軽々しいものだとわかっていても、そう書きつける瞬間に突きつけられるレース以外のなにかに純真を汚される気がして、やるせなくなる。

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裏表のスコット・ディクソンを、過去として見る日がいつか来る

【2019.6.1-2】
インディカー・シリーズ第7/8戦 デトロイト・グランプリ
(ベル・アイル・レースウェイ)

たぶん多くの観客の記憶にはさして残っておらず、またレース結果や形勢にたいした影響を及ぼすでもない、個人の抽斗にしまっておかれるような類の思い出があるとするなら、わたしにとってそのひとつは、以前にも書いたとおり2004年F1中国GPの十何周目かにミハエル・シューマッハがスピンした場面だったりする。当時のわたしはどうにか就職を決めた大学4年生で、いまは休刊になったとあるモータースポーツ雑誌の編集部にDTP制作のアルバイトとして潜り込んでおり、収入は乏しいながらも有料放送の生中継を見られる贅沢な立場なのだった。曇り空に覆われ、明るいとは言えない雰囲気が漂う上海インターナショナルで真っ赤なフェラーリがタイヤスモークを上げたかどうか、ともかくも横を向いたターン13が映し出されて、周囲の大人たちが苦笑いしたかと思う。

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2019年の開幕に現れたのは、2010年代に描かれたいくつかの物語だった

Photo by : Joe Skibinski

【2019.3.10】
インディカー・シリーズ開幕戦 セント・ピーターズバーグGP
(セント・ピーターズバーグ市街地コース)

連続する時間の流れをどこかで区切ろうとするのはけっして自然なものではなく、人間の勝手な都合による社会的行為というべきだろう。たとえば、まもなく変更される日本の元号と西暦の関係を考えれば明らかだ。日本人がこの30年間を「平成」という時代として捉えて終わりを惜しみ、なにか特有の世相があったはずだと回顧している一方で、和暦とまったく無縁な外国人にとってみれば2019年5月1日に前後を分ける境界線が見えるはずもないのだから。あるいは「’90年代」「’10年代」といった具合に、しばしば西暦の10の位をもってひとつの年代に纏めてしまう場合があるが、その10年間は「昭和50年代」「平成20年代」といった和暦の10年間とは一致しない。われわれはときに昭和40年代と50年代になにか必然的な差異があったかのように振る舞うにもかかわらず、両者を5年ずつ含んでいる1980年代と’90年代の違いにも意味があるようにてらいなく線を引く。結局、その区別は語り手の問題だ。われわれはその時々によってどうとでも設定しうる区切りを都合よく摘み上げ、採用しているにすぎない。時代とはつねに恣意的な物語、自然にある科学ではなくて創作なのである。

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スコット・ディクソンは自らの静謐さを選手権に押し拡げた

Scott Dixon hoists the Astor Cup on stage after winning the 2018 Verizon IndyCar Series championship at Sonoma Raceway -- Photo by: Joe Skibinski

Photo by: Joe Skibinski

【2018.9.16】
インディカー・シリーズ第17戦(最終戦) グランプリ・オブ・ソノマ

終わってみると、ずいぶんと穏やかに過ぎた半年間だったと思えてくる。選手権の逆転に希望を託してソノマに臨んだアレキサンダー・ロッシの冒険が1周目のターン1でほぼ終わり、シーズンを総括する試みが宙に浮かんで捉えられないまま最終戦の数十周が過ぎていったからでもあるだろう。ロッシが迂闊としか見えない加速であろうことか実質的なチームメイトのマルコ・アンドレッティに追突し、フロントウイングの破損とパンクに見舞われた瞬間に、ソノマ・レースウェイを覆っていた緊張感の大半が解けて霧散していった、事実上2人に絞られていたチャンピオン争いの行方は、最初のグリーン・フラッグが振られてものの数秒のうちに決定づけられてしまったのだ。以降チェッカー・フラッグにいたるまでの2時間足らずのあいだは、初夏のころからずっと選手権の首位を保っていたスコット・ディクソンが丁寧にこの年を閉じるのを見守るための日になりそうだった。
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スコット・ディクソンは形而上の中空を浮遊している

Scott Dixon streaks across the start-finish line during the DXC Technology 600 at Texas Motor Speedway

Photo by: Chris Owens

【2018.6.9】
インディカー・シリーズ第9戦 DXCテクノロジー600(テキサス)

現代のインディカー・シリーズにおいて、スコット・ディクソンこそがもっとも成功しているドライバーだと主張されて異論を差し挟む者はそういまい。今季デトロイト終了時点で通算42勝は歴代3位タイ、1位のA.J.フォイトと2位のマリオ・アンドレッティが活躍した時代は半世紀も遡り、ダートトラックでもレースが行われていたほど大昔だから、事情の大きく異なる現代で歴史を更新し続けているのは驚嘆すべきことだ。年間王者はじつに4度、史上最長となる14年連続で勝利を挙げ、言うまでもなくインディアナポリス500マイルも優勝している、などなど、実績をただ羅列するのはいかにも芸のない文章の書き出しだが、実際そうするほかないほど、彼の歩みは栄光に満ちている。強者に寄り添う観戦が好みなら、ひとまずディクソンを見つめておくがいい。レースの週末を過ぎたときにはおおむね満足感を抱いているはずだ。彼に大きく失望する場合などまず訪れるものではない。
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不公平なほどの公平、あとの者は先になり、先の者はあとになる

【2017.7.16】
インディカー・シリーズ第12戦 インディ・トロント

天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。
彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。
それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。
そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。
そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。
五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。
彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。
さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼びなさい。そして最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。
そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。
ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。
もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして
言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。
そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。
自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。
自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。
このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。(『マタイによる福音書』章20より)
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勝利はそれをもっとも欲する表現者へと引き寄せられる

【2017.6.25】
インディカー・シリーズ第10戦 コーラーGP(ロード・アメリカ)

 
 
 開幕から10戦してじつに半数以上に及ぶ6度もフロントローに並び、うち3回はポールポジションを記録している事実だけを伝えたとしたら、経緯を知らない人はよほど優れたシーズンを送っているに違いないと感心するだろう。それもそのカテゴリーがインディカー・シリーズで、市街地、ロード、オーバルと性格のまるで異なるコースのいずれでも「P1アワード」を受賞しているとなれば、もう選手権を支配していると納得したとしてもまるで不思議はないはずだ。なるほど、そんなに速いならぶっちぎりのポイントリーダーだろうね――ところが、聞かれた側はこう答えるほかない。いいや、せいぜい3位かそのあたりだよ。おや、では運悪くリタイアが多いのか――別に、1回きりだ。ライバルが強いとか――強敵はもちろんいるが、飛び抜けた存在がいるわけでもない。じゃあ、優勝は?――ないね、ずっとない。いったいどういうことだ?――たとえばロード・アメリカにその答えは見つかるかもしれない。予選でエリオ・カストロネベスが今季3度目の最速タイムを記録し、決勝を先頭からスタートすることが決まっても、それはまだチェッカー・フラッグに対して示唆を与える結果にはなりそうもなかった。彼は今季2度、それどころか過去3年間で11回獲得したポールポジションのすべてで優勝に失敗している。ポール・トゥ・ウィンのみならず、優勝すらもう3年以上巡り合っていない。自分自身の問題か不運か理由はさまざまあれど、そのようなドライバーを予選の速さだけで信用するのは難しいものだ。近年のカストロネベスは明らかにレースで一貫性を欠いてきて、どう期待したらいいかわからないドライバーになっている。そしてそれは結局、ウィスコンシンの週末でも同様だった。
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映るのは少女か老婆か

【2017.3.12】
インディカー・シリーズ開幕戦 セント・ピーターズバーグGP
 
 
 2017年のインディカー・シリーズはウィル・パワーがポール・ポジションを獲得して始まった。ごくごく当たり前に見知った光景だった。2010年からこっち、次の年もそのまた次の年も、昨年にいたるまでこの選手権はそういうふうに始まるものと決まっていた。正確にはこの間1回だけ日本人に特等席を譲っているのだが、そんなのはちょっとした例外だ。だから今年もセント・ピーターズバーグでいちばん速いのはパワーなのだと最初からわかりきっているのだったし、日本時間でいえば日曜日の未明にコーヒーを沸かしながら予選を見届けたあと、肩をすくめて「ほらね」とつぶやく以外の反応が起こるはずはなかった。それは何一つ意外なところのないタイムアタックで、だからわたしはその結果に心動かされることなく自分の出場するカートレースの身支度をはじめていた。待ち望んでいた開幕とともに過ごすには少々慌ただしい休日の朝だったが、自分や普段から活動をともにするチームメイトに関連する大会が3つもあって、わたしの心はまずそちらへと向いていたのである。 続きを読む

インディカーの勝者は必然と偶然の交叉点に立つ

【2016.7.17】
インディカー・シリーズ第12戦 インディ・トロント
 
 
 インディカー・シリーズのレースはその構造ゆえに論理の積み重ねにを断絶すると書いたのはつい先週のことだ。ゆくりなくやってくるフルコース・コーションが隊列を元に戻してあたかもさいころが振り直されるように展開が変わり、最後には大なり小なり偶然をまとった勝者を選び取る、そこにはスタートからゴールまで通じた一貫性のある争いが存在しないというわけである。もちろんこのことは競技者の努力がはかない徒労であることを意味するものではなく、賽によって翻弄されることを前提とした正しい戦いは存在する。周回を重ねる過程において、強い競技者は賽の多くの面を自分の名前に書き換えていき、弱者はやがてあらゆる面から名を消されて勝利の可能性を剥奪される。スタートから積み木をひとつずつ積みあげるようにレースを作っていくのではなく、そのようにしてレースを決定づける賽を偏らせようとするせめぎあいに、インディカーの特質はある。最後の最後に運に身を委ねなければならない事態がありうると知ったうえで、せめてその確率を支配しようとすること。必然と偶然が交叉する場所に、インディカーの勝者は立っている。
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砂漠の落日にIRLの日々は消え去る

【2016.4.2】
インディカー・シリーズ第2戦 フェニックスGP
 
 
 フェニックス・インターナショナル・レースウェイでインディカー・シリーズのレースが開催されるのは2005年以来で、いまはNASCARへと転出したダニカ・パトリックが新人として走っていた年だというから、ずいぶん昔日のことになってしまったと懐かしくさえ思ったおり、ふとひとつの違和感を得て調べてみると、一年のうちでインディアナポリス500マイルより前にオーバルレースが行われるのも2010年まで遡らなければならないという記録に行き当たって、あらためて楕円に沿ってひたすら高速で回り続けるこの魅惑に満ちたレースがもはやすっかり姿を消してしまった事実を自覚させられるようで嘆息のひとつも漏らしたくなってくるのだった。オーバルの剥離はインディカーの、どう取り繕おうにも凋落と言うほかないほどの低迷と疑いなく軌を一にしており、インディ500を除けばどのレースウェイを見ても空白だらけの観客席に寂寥を覚えるばかりなのだが、11年ぶりに戻って来た、つまり郷愁と物珍しさを利用して人を集めるのに最適な条件が整っていたはずのレースでさえ復活を謳えるほどの客入りではなかったことに、もう手立てなどどこにも残っていないのだろうかと、日本のテレビ観戦者に過ぎず直截にはなんの貢献もできないくせをして身勝手にも憂鬱になる。結局のところNASCAR(わたし自身は熱心に見ているわけではないのだが)開催時の観客席と比べると差は歴然で、ホームストレートの目の前でさえ空席が目につき、ターン4や1にいたっては人影のほうが目立って見えるほどのありさまだったのだから、甲斐のない現状であることを否定するのは難しい。他のカテゴリー、まして米国で随一の人気を誇るストックカーと並べるのはさすがに酷で詮ないと振り払おうにも、今度は皮肉なことにGAORAがレース前に懐かしの映像として流した11年前のフェニックスに活気が溢れていて、今との落差が時の流れの残酷さを示してしまうのだ。見ているとその映像の実況でなぜか「IRL」と言われていたのが聞こえ、当時すでにシリーズは現在とおなじ「インディカー・シリーズ」に変わっておりIRLの名は運営統括組織として残っていただけのはずだが、とはいえ対抗するチャンプカー・ワールド・シリーズ(IRL分裂後、破綻したCARTを引き継いだシリーズである)もまだかろうじて息をしていて、なるほどたしかにIRLと口にしたくなるほどその面影が色濃く残っていた時期であったのかもしれない。「IRL=Indy Racing League」というなんとも中途半端な名称は、オーバルを毀損していたかつてのCARTに対するアンチテーゼとして「真のインディカー」を取り戻すべく蜂起するにあたり商標であったIndycarの名の帰属をめぐって法廷闘争が起こった末の妥協の産物に過ぎなかったのに、振り返れば名前を使えなかったIRL時代のほうが現在よりもよほどその精神が充足して見えてくるのだからやはり皮肉を感じずにはいられない。あるいは名乗れなかったからこそ純粋な姿を追い求めていられたのだとすれば、遠くから焦がれるときの理想がいちばん美しくようやく手にしたとたんに褪せてしまったのだから、これもまた皮肉である。2005年のインディカー・シリーズは14のオーバルレースと3つのロード/ストリートレースによって戦われており、IRL時代から続いた全戦オーバルの掟がはじめて破られた年だったが、シリーズの主体はまだ楕円の中にあった。それもいまや5つのオーバルと11のロード/ストリートに反転している。この間に源流をともにするCCWSは消滅を迎え、やがてインディカーの統括組織も改称されて「IRL」は完全に歴史上の単語へと移ろった。前回のセント・ピーターズバーグGPについて記した際、わたしはそのあり方がまったくといっていいほど変わらないといったわけだが、単一のストリートレースに目を向ければそう見えるという話であって、そこに時代という串を一本刺せば先端と根本はあまりに、懐古趣味と嗤われようと好ましくない形で違っている。11年。そういえば去年の5月にインディ500をその場所で観戦すべくインディアナポリス・モーター・スピードウェイに赴いたとき、観客席で隣り合わせになった地元在住の婦人はもう56年もここに通い続けていると話してくれたのだった。宿では43回目だと快活に笑う紳士にも会った。ふたりが愛しているのがインディ500なのかインディカーなのか、両者はともすると重ならない場合もあるので定かではないが、はたしてこの数年の間にさえ変わってしまったオーバルレースのありかたに、ふたりがなにか思うところはあるのだろうか。それとも、USACからCARTへ、CARTからIRLへ、2度のインディカー分裂と統合を直に見知っている生き証人として、それも歴史の中で受容すべき善悪の伴わない変化にすぎないと鷹揚に微笑むだろうか。
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