映るのは少女か老婆か

【2017.3.12】
インディカー・シリーズ開幕戦 セント・ピーターズバーグGP
 
 
 2017年のインディカー・シリーズはウィル・パワーがポール・ポジションを獲得して始まった。ごくごく当たり前に見知った光景だった。2010年からこっち、次の年もそのまた次の年も、昨年にいたるまでこの選手権はそういうふうに始まるものと決まっていた。正確にはこの間1回だけ日本人に特等席を譲っているのだが、そんなのはちょっとした例外だ。だから今年もセント・ピーターズバーグでいちばん速いのはパワーなのだと最初からわかりきっているのだったし、日本時間でいえば日曜日の未明にコーヒーを沸かしながら予選を見届けたあと、肩をすくめて「ほらね」とつぶやく以外の反応が起こるはずはなかった。それは何一つ意外なところのないタイムアタックで、だからわたしはその結果に心動かされることなく自分の出場するカートレースの身支度をはじめていた。待ち望んでいた開幕とともに過ごすには少々慌ただしい休日の朝だったが、自分や普段から活動をともにするチームメイトに関連する大会が3つもあって、わたしの心はまずそちらへと向いていたのである。 続きを読む

インディカーの勝者は必然と偶然の交叉点に立つ

【2016.7.17】
インディカー・シリーズ第12戦 インディ・トロント
 
 
 インディカー・シリーズのレースはその構造ゆえに論理の積み重ねにを断絶すると書いたのはつい先週のことだ。ゆくりなくやってくるフルコース・コーションが隊列を元に戻してあたかもさいころが振り直されるように展開が変わり、最後には大なり小なり偶然をまとった勝者を選び取る、そこにはスタートからゴールまで通じた一貫性のある争いが存在しないというわけである。もちろんこのことは競技者の努力がはかない徒労であることを意味するものではなく、賽によって翻弄されることを前提とした正しい戦いは存在する。周回を重ねる過程において、強い競技者は賽の多くの面を自分の名前に書き換えていき、弱者はやがてあらゆる面から名を消されて勝利の可能性を剥奪される。スタートから積み木をひとつずつ積みあげるようにレースを作っていくのではなく、そのようにしてレースを決定づける賽を偏らせようとするせめぎあいに、インディカーの特質はある。最後の最後に運に身を委ねなければならない事態がありうると知ったうえで、せめてその確率を支配しようとすること。必然と偶然が交叉する場所に、インディカーの勝者は立っている。
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砂漠の落日にIRLの日々は消え去る

【2016.4.2】
インディカー・シリーズ第2戦 フェニックスGP
 
 
 フェニックス・インターナショナル・レースウェイでインディカー・シリーズのレースが開催されるのは2005年以来で、いまはNASCARへと転出したダニカ・パトリックが新人として走っていた年だというから、ずいぶん昔日のことになってしまったと懐かしくさえ思ったおり、ふとひとつの違和感を得て調べてみると、一年のうちでインディアナポリス500マイルより前にオーバルレースが行われるのも2010年まで遡らなければならないという記録に行き当たって、あらためて楕円に沿ってひたすら高速で回り続けるこの魅惑に満ちたレースがもはやすっかり姿を消してしまった事実を自覚させられるようで嘆息のひとつも漏らしたくなってくるのだった。オーバルの剥離はインディカーの、どう取り繕おうにも凋落と言うほかないほどの低迷と疑いなく軌を一にしており、インディ500を除けばどのレースウェイを見ても空白だらけの観客席に寂寥を覚えるばかりなのだが、11年ぶりに戻って来た、つまり郷愁と物珍しさを利用して人を集めるのに最適な条件が整っていたはずのレースでさえ復活を謳えるほどの客入りではなかったことに、もう手立てなどどこにも残っていないのだろうかと、日本のテレビ観戦者に過ぎず直截にはなんの貢献もできないくせをして身勝手にも憂鬱になる。結局のところNASCAR(わたし自身は熱心に見ているわけではないのだが)開催時の観客席と比べると差は歴然で、ホームストレートの目の前でさえ空席が目につき、ターン4や1にいたっては人影のほうが目立って見えるほどのありさまだったのだから、甲斐のない現状であることを否定するのは難しい。他のカテゴリー、まして米国で随一の人気を誇るストックカーと並べるのはさすがに酷で詮ないと振り払おうにも、今度は皮肉なことにGAORAがレース前に懐かしの映像として流した11年前のフェニックスに活気が溢れていて、今との落差が時の流れの残酷さを示してしまうのだ。見ているとその映像の実況でなぜか「IRL」と言われていたのが聞こえ、当時すでにシリーズは現在とおなじ「インディカー・シリーズ」に変わっておりIRLの名は運営統括組織として残っていただけのはずだが、とはいえ対抗するチャンプカー・ワールド・シリーズ(IRL分裂後、破綻したCARTを引き継いだシリーズである)もまだかろうじて息をしていて、なるほどたしかにIRLと口にしたくなるほどその面影が色濃く残っていた時期であったのかもしれない。「IRL=Indy Racing League」というなんとも中途半端な名称は、オーバルを毀損していたかつてのCARTに対するアンチテーゼとして「真のインディカー」を取り戻すべく蜂起するにあたり商標であったIndycarの名の帰属をめぐって法廷闘争が起こった末の妥協の産物に過ぎなかったのに、振り返れば名前を使えなかったIRL時代のほうが現在よりもよほどその精神が充足して見えてくるのだからやはり皮肉を感じずにはいられない。あるいは名乗れなかったからこそ純粋な姿を追い求めていられたのだとすれば、遠くから焦がれるときの理想がいちばん美しくようやく手にしたとたんに褪せてしまったのだから、これもまた皮肉である。2005年のインディカー・シリーズは14のオーバルレースと3つのロード/ストリートレースによって戦われており、IRL時代から続いた全戦オーバルの掟がはじめて破られた年だったが、シリーズの主体はまだ楕円の中にあった。それもいまや5つのオーバルと11のロード/ストリートに反転している。この間に源流をともにするCCWSは消滅を迎え、やがてインディカーの統括組織も改称されて「IRL」は完全に歴史上の単語へと移ろった。前回のセント・ピーターズバーグGPについて記した際、わたしはそのあり方がまったくといっていいほど変わらないといったわけだが、単一のストリートレースに目を向ければそう見えるという話であって、そこに時代という串を一本刺せば先端と根本はあまりに、懐古趣味と嗤われようと好ましくない形で違っている。11年。そういえば去年の5月にインディ500をその場所で観戦すべくインディアナポリス・モーター・スピードウェイに赴いたとき、観客席で隣り合わせになった地元在住の婦人はもう56年もここに通い続けていると話してくれたのだった。宿では43回目だと快活に笑う紳士にも会った。ふたりが愛しているのがインディ500なのかインディカーなのか、両者はともすると重ならない場合もあるので定かではないが、はたしてこの数年の間にさえ変わってしまったオーバルレースのありかたに、ふたりがなにか思うところはあるのだろうか。それとも、USACからCARTへ、CARTからIRLへ、2度のインディカー分裂と統合を直に見知っている生き証人として、それも歴史の中で受容すべき善悪の伴わない変化にすぎないと鷹揚に微笑むだろうか。
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ファン=パブロ・モントーヤの憂鬱は運動と制度のあわいに広がる

【2015.8.30】
インディカー・シリーズ最終戦 ソノマGP
 
 
 2015年のインディカー・シリーズにおける選手権制度の詳細が発表されたとき、それは明らかに歓迎されざる俗なやり方に思えた。いや、本来「俗」な観客にすぎないはずのわれわれがみな一様に首を傾げるような方策だったのだから、俗情と結託したとすらいえず、だれのためになるのかさえ不明な、冴えない発想だったにちがいない。実際、近年このうえなく迷走を続けるF1が採用し、そしてあまりに不評なため1回かぎりで廃止したような「最終戦の選手権得点2倍」という愚策に、まさかインディカーが1年遅れで追随しようなどとは思いもしなかったのだった。
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無聊を慰めるチップ・ガナッシの逆転はシーズンの結末を示唆するだろうか

【2015.6.6】
インディカー・シリーズ第9戦 テキサス・ファイアストン600
 
 
 フルコース・コーションはたった一度きり、それもどこに落ちていたかついぞ映像として見ることのできなかった「デブリ」によるもので、車が壊れることもだれか事故に見舞われることもなかった――インディアナポリス500の練習走行で何度も危機的な事故があったことを思えば、それ自体は喜ばしい結果というべきだが――テキサスの一夜についてだれかを突っつけば、およそ退屈以外の感想は出てこないかもしれない。もちろん、日が残っている時間帯にすべてを支配しつくしていると見えたチーム・ペンスキーが日没という侘しさの象徴を引き受けたかのように黄昏すぎから勢いを失い、代わってチップ・ガナッシのエース2人が夜の闇を押しのけていくまでに移り変わっていくレースの過程は非常に興味深いものだったとは言える。ポールポジションのウィル・パワーと、それを相手に抵抗さえ許さず先頭を奪い、途中までは3秒近いリードを築いていたシモン・パジェノーの2人が見舞われた無惨と形容していいほどの没落は、刻一刻と変化するオーバルコースに合わせて完璧な全開走行を続けることがいかに途方もない道のりであることを示したものであった。ただ気温と路面温度の低下に伴って生じたその変化はあまりにもおもむろで、レースは本当にいつの間にか、気づいたときにはすでにスコット・ディクソンのものになっており、速さが移り変わった劇的な瞬間などといった興奮も訪れはしなかったのだ。
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語りえぬことに口を開いてもろくなことにはならない

【2015.5.30-31】
インディカー・シリーズ第7-8戦 デュアル・イン・デトロイト
 
 
 最大の祭典であるインディアナポリス500マイルから5日空いただけでもう次の決勝が始まるのだから、関係者はもちろん、現地からようやく火曜日の夜に帰宅した日本人ならずとも少しは落ち着けと言いたくなろう。天も似たような気持ちだったのかどうか、インディ500には遠慮した雨雲を、大きな利息をつけてデトロイトに引き連れ、混乱に満ちた週末を演出してしまうのだった。土曜日のレース1、日曜日のレース2ともに突きつけられた赤旗は、レースを唯一断ち切る旗としての暴力によって、今季ここまでかろうじて認められてきたシリーズの一貫性を奪い去っていった。このブログはレースにおいて複雑に絡みながらも始まりから終わりまで一本につながる線を見出し、テーマとして取り上げて記していきたいと考えているが、気まぐれな空模様や凹凸だらけの路面、そして数人のドライバーの不躾な振る舞いと楽観的すぎる(あるいは悲観的すぎる)チームの判断は、デトロイトの週末からあらゆる関連性を切り離し、すべての事象に因果のある説明を与えようとする態度を拒否するようだった。なぜレース1でカルロス・ムニョスが勝ち、レース2をセバスチャン・ブルデーが制することになったのか、もちろん原因を分析して答えることは可能だが、その原因に至る道筋にはまったく理解が及ばない。はたして土曜日の始まりには、インディ500がそうであったように、結局チーム・ペンスキーのための、付け加えればこの都市を地元とするシボレーのための催しになるとしか思えなかったダブルヘッダーは、わたしの頭にいくつもの疑問符を残したまま過ぎていこうとしている。
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もちろん、チップ・ガナッシは帰ってくる

【2014.7.12】
インディカー・シリーズ第12戦 アイオワ・コーン・インディ300
 
 
 そして1週間が経った。ポコノでチップ・ガナッシが見せた臆病な振る舞いを観客として正しく軽蔑すべきだという趣旨の前回記事を書き終えたころ、このチームの中でも「ターゲット」をスポンサーとするエース格のスコット・ディクソンとトニー・カナーンはすでにアイオワの予選1、2番手を独占していた。それはわたしの浅薄な眼差しをあっさりと蹴散らし、決勝に向けてなによりの楽しみをもたらしてくれる結果だった。ひとつのレースで話を完結させるなんとなくの流儀として記事で触れることはしなかったが、しかし去年同様に7月になってようやくスピードを取り戻してきたチャンピオンチームが、ポコノの頽廃を越えてレースでも王者としての振る舞いを思い出すことができるのか、アイオワ・コーン・インディ300はそれを見届けるにふさわしい準備を整えたように感じられたのである。

 最高のスタート位置を得たふたりはグリーン・フラッグが振られてすぐさま後続を引き離しにかかり、レーススピードでも優勝に値することを示している。ディクソンに関しては他のドライバーに比べてややタイヤの性能低下が大きい傾向にあり、スティント中盤以降に苦しむ姿は見られたものの、それでもチップ・ガナッシのDW12が同条件下で最速の車であることはまちがいなかった。33周目に降雨でレースが中断されても、セバスチャン・サベードラが急激な追い上げを開始したと思ったが早いかウォールにヒットして勝機を失った――このときテレビカメラが捉えたコロンビア人の表情は、インディカー・シリーズの中でもとくに印象に残る哀愁を漂わせていた――レース中盤でも、そして夜の帳が下りて気温と路面温度が急降下していただろう終盤に入っても、そのスピードは一定で、ずっと隙を見せることがなかった。このブログでは速さの証拠としてリードした周回数を持ち出すことが多いのだが、今回も同様にしてカナーンの247周、ディクソンの17周(しばしば2番手を走っていた)とふたりで90%近いラップリードを占めたのだといえば、だれだってアイオワがチップ・ガナッシのためのレースだったと首肯するにちがいない。もし昨年からレース距離が延長されずアイオワ・コーン・インディ250のままであったなら、彼らは1周0.875マイルのショートオーバルを全周回リードしてもまだお釣りが来るほどライバルを圧倒したということさえできる。

 それにしても、今季はどうも「同じこと」が起きるようだ。ウィル・パワーは5度もドライブスルー・ペナルティを科され、佐藤琢磨は自分の責任の有無にかかわらずリタイアを繰り返し、そしてこのアイオワの231周目にはマルコ・アンドレッティのホンダエンジンがテキサスに引き続き白煙を盛大に吐き出してフルコース・コーションを引き起こした。反復されるおなじアクシデントはしばしばレースの歯車を狂わせる要因になっていた(本来なら、パワーはもっと楽にポイントリーダーでいられた)が、マルコがまたしても見舞われた今回の不運に限っていえば、どちらかといえばレースを落ち着けるように思われたはずだ。つまりピットがオープンした234周目からゴールまでは66周で、満タンの燃料で73周走れることを考えると、全員がためらうことなく最後の給油へと向かえるタイミングであることを意味していたのである。先週に続いて中継の解説を担当した松浦孝亮が、このときリーダーだったカナーンについて「ピットアウトで先頭に戻れば勝機は大きい」といった趣旨のコメントを残したのも、ごく当然のことだ。ポコノでは劣勢だったピットクルーの作業もこの週末は完璧で、チップ・ガナッシはカナーンを首位のままコースに送り出したのみならず、4位を走っていたディクソンを2位にまで押し上げて最高の形で最後のスティントを迎えた。もはや最高の王者が帰ってきたと確信するのにためらう理由はなくなっていた。

 にもかかわらず、といっていいだろう。彼らは敗れてしまう。問題は燃料ではなく、ディクソンがずっとその徴候を示していたことに代表されるように曲がりっぱなしのショートオーバルによって大きな負荷がかかり、どの車のタイヤも30周程度しか走らないうちに性能低下を起こしていたことにあった。最終スティントも例外ではなく、260周あたりからすでに全体のペースが落ち込んでいる。それでもレースがグリーン・フラッグの状況下で行われているうちは(ピット作業の間に周回遅れになってしまうオーバルレース特有の事情で)だれもタイヤ交換できない我慢比べが続いたが、282周目にエド・カーペンターがファン=パブロ・モントーヤの進路をブロックしたことで発生した事故によって、展開に綾が生まれた。残り少ない周回数を考えてトラックポジションを優先しステイアウトした5番手までの車と、イエロー・フラッグを逆転する唯一の好機として新品タイヤに交換したライアン・ハンター=レイ以下数台の車へと、リードラップの隊列が2つに分かれたのである。

 グリップダウンは想像以上に激しかったようで、判断が正しかったのは結局後者だった。使いきったタイヤで前にとどまる集団に対し新品タイヤで後ろから追い上げる集団は圧倒的に速く、両者のレーシングラインは291周目のレース再開から間もないうちに何度も交錯する。そうしてついに299周目のことだ。明らかにハンドリングに苦しむディクソンをいとも簡単に料理した一昨年のチャンピオンが、グリップを失ってインサイドへ降りていくことのできないカナーンの左側をもやすやすと通り過ぎていく。最高の戦略を得たハンター=レイはこの周と300周目、たった2周だけリーダーとなって、そのままチェッカー・フラッグを頭上に戴いた。おなじくタイヤを交換したジョゼフ・ニューガーデンにも抜かれたターゲット・チップ・ガナッシ勢は、結局3位と4位でゴールし、またしても今季初勝利を逃した。そういうレースだった。

***

 最後に笑った(つまりもっとも笑った)のはハンター=レイだったとはいえ、GAORAの中継ブースにいた3人全員がいつの間にかカナーンにシンパシーを抱いて肩入れしてしまっていたことに象徴されるように、アイオワの優れた主演がクライマックスだけを攫っていった黄色い車ではなく、つねにスポットライトを浴び続けた赤い車であったことはたしかだろう。カナーンは――もちろんそれはなにより辛いことではあるが――たんに1位になりそこねただけで、きっとその他のあらゆる面では勝者だった。たとえば実況した村田晴郎の振るったコメントがレースの性質をよく表している。「先週のカナーンは戦略に負け、今日のハンター=レイは戦略に勝った」。そのとおり、カナーンはポコノのように惨めに敗れたのではない。最後のコーションでステイアウトしたのは結果的に誤っていたが、レースのリーダーがポジションを最優先で確保するのは当然の戦い方で、当初から疑問だった分の悪い賭けに身を置いたのとは違う。もっといえば、チップ・ガナッシは2番手のディクソンを保険としてピットインさせる選択もありえたのに、結局そうせずにゴール2マイルのところまで1-2態勢を保ち続けた。彼らが繰り広げたのは、逃避にまみれたポコノの再現ではなく、まぎれもなく強者のレースだったのだ。

 そんな、普通に走っていれば勝てると言わんばかりの堂々とした振る舞いに観客の勝手な視線を向けてみると、チャンピオンチームでありレースのリーダーでもある自らの気位をこそ、彼らがこのレースで守るべきものとして戦っていたように見えてくる。村田のコメントには、「カナーンはけっして負けたのではない」という心情が、これ以上なく込められているようだ。ただ完璧なレースに生じた僅かな亀裂に、偶然の展開を味方につけて「戦略に勝った」ドライバーが割り込んだ、ライアン・ハンター=レイという(チップ・ガナッシとは)別のだれかが1位を得ただけのことだったのである。

 もちろんハンター=レイが最高の「ハント」を完遂した最後の10周は、日が暮れた後のレースでもっとも興奮を誘うもので、その走りを称えるにやぶさかでない。インディアナポリス500以降の不調で一度は選手権争いから脱落しかけた彼がふたたび戦線に戻ってきたという意味でも重要な結果だった。しかしそうだとしても、やはりこのアイオワは王者が精神を充足させながら結末だけが慰みにならなかったレースとして印象に残しておくべきだと思われる。一度はレースと正面から戦うことに怯えた王者をモータースポーツという営みの強度のためにこそ軽蔑すべきだと書いたのだから、1週間後のいま、まったくおなじ理由でその敗戦を称揚するのは当然のことだ。君子の豹変は歓迎されるものである。強かったチップ・ガナッシは偶然に翻弄されて哀しみに暮れた。しかしその過程で維持し続けた美しくも清冽な1-2の隊列は、もしかすると優勝者として名前を刻むよりもよほど重要な精神を示していたに違いなかった。

 歴史に残るのは1位だけで、敗者は記憶に残らない、だから勝負は勝たなければ意味がないと言われることがある。だが観客がモータースポーツに求めるのは事後の結果ではなく、いまこの瞬間に湧き上がる情動であるはずだ。われわれはレースをつぶさに見ることで、ニヒルに満ちたそんな文句を否定してしまおう。結果としての勝者とおなじくらい精神の勝者を称えようとするかぎり、2014年のアイオワをなによりもまずチップ・ガナッシのレースとして心に留めておくことは、きっと、さほど難しくない。

エリオ・カストロネベスの敗北は、最後に現れた讃えられるべき真実となった

【2013.10.19】
インディカー・シリーズ最終戦 フォンタナMAVTV500
 
 
 フォンタナという土地の名前を見るたびに、若いまま時を止めたあのカナダ人ドライバーを思い出さずにいられない。そのときわたしは高校生で、あまり気乗りしない大学受験に本当ならかかずらわなければならないはずだったのに、F1と、当時アメリカン・モータースポーツの中心として隆盛を誇っていたCARTだけは欠かさず観戦する生活をやめられず家族に諦められていた。その中継をライブで見ていたかどうか、そもそも日本で生中継されていたのかも定かでないが、インターネットはたいして普及しておらず、F1以外のモータースポーツの情報など一般ではほとんど手に入らなかった(ましてわたしの居住地はお世辞にも都会とはいえず、同級生に「カート」の魅力を語ろうにもkartの意味でしか理解されなかった)時代の話である。タイムラインなんて言葉に新しい意味が加わる未来など知る由もなく、ニュースもなにも伝わっていないなかでの観戦だったのだから録画中継だったところで大きな違いがあるわけでもないだろう。その瞬間の映像は、もしかすると後年になってYouTubeなどで見た記憶と混同さえしているかもしれないが、当時のわたしの落胆だけは本物に違いなかった。のちにあらためて確認したところによると、どうやら現地時間では10月31日の出来事だったらしい。1999年のCART、やがて運営が破綻し曲折を経て現在のインディカー・シリーズへと合流することになる昔日のカテゴリーの、最終戦が行われたのがフォンタナだった。

 1997年ごろからCARTを見るようになったわたしにとって、フォーサイス・レーシングの水色(濃い青のときもあったかもしれない)の車は英雄的な印象を伴って記憶のなかにとどまっている。コースをワイドに使って狭いストリートコースの壁ぎりぎりを掠め、オーバルレースで臆することなく狭いスペースへと飛び込んでオーバーテイクを成功させてしまう勇敢な走りは、ドライバーの若さに想像する未来の大きさとも相まって、アメリカのレースについてなにも知らない高校生の心を捉えて放さなかった。チームやイルモア・エンジンの戦闘力はけっして高いとはいえず、またリタイアも少なくなかったものの、それでもいくつか目撃する機会に恵まれた勝利はやがてシリーズ・チャンピオンの順番が回ってくることを疑わせもしなかったはずである。残念ながら観客に不幸が起きてしまったレースではあるが、たとえば1998年のミシガンU.S.500を思い出すのも悪くない。残り3周か4周あたりでアレックス・ザナルディとの2位争いを制し、最後はジミー・バッサーとの激しい攻防となったあのレースだ。おたがい一度ずつの抜き合いを演じた首位攻防は残り2周のターン3でバッサーが見舞ったチョップによって決着を見たかと思われたが、進路をカットされて陥ったアンダーステアに構わず加速を続けてドラフティングに入り直し、ホワイト・フラッグ直後のターン1でまたしてもインサイドに飛びこんで先頭に躍り出た。これがグリーン・フラッグから数えて63度目のリードチェンジだったことが、なによりもレースの激しさを物語っていよう。ファイナルラップに入ると、バックストレートで逃げるように蛇行しながら先頭を守って、ついにはその年の選手権で1位 – 2位を独占した赤いチップ・ガナッシ・レーシング勢を従えたままチェッカー・フラッグを受けたのだった。フォーサイスのピットクルーたちが歓喜の輪をつくった、通算すると4度目となる優勝の一幕である。その後1999年にファン=パブロ・モントーヤが突如としてチップ・ガナッシのシートを獲得し瞬く間に勝利を重ねていったが、衝撃的な新人の登場すらわたしの贔屓を揺るがせはしなかった。2000年からはチーム・ペンスキーをドライブすることが決まって、ついにチャンピオンとなる瞬間を待つだけになったように思えたものだ。

 その1999年、フォンタナの前に不注意から手の指を骨折していたにもかかわらずステアリングを握ったのは、4年を過ごしたチームと最後のレースの時間を共有したいという愛情の表れのようなものだったらしい。走りに似合わず好人物とよく評されていたことを窺わせる逸話は、しかし美談で終わることなく、それが直接な原因とも思われないが結果的に悲劇の呼び水となった。カリフォルニア・スピードウェイ、いまはオート・クラブ・スピードウェイと呼ばれるトラックでのレース序盤の出来事だ。リスタートの混戦のなか壁に接触したフォーサイスはスピンに陥ってインフィールドへと落ち、直後に芝生の段差に捕まって錐揉み回転しながら、設置してあったフェンスにコクピットの開口部から激突した。跳ね返った車はなおも勢いを緩めず地面に叩きつけられるうちに四輪が吹き飛び、リアセクションも完全に破壊されて、コクピットブロック以外はまったく原型を留めず失っていた。事故の瞬間を追っていたテレビカメラがいったんドライバーの様子をアップにしようとしたが、すぐ何かを察したようにロング映像へと引いていったことが危機的な事態を予期させたはずである。その報が伝えられたのはレースが終わってからのことだった。優勝し大逆転で新人チャンピオンを勝ち取る偉業を達成したはずのモントーヤの表情に悲痛さだけが浮かんでいて、それはいまでもわたしが彼について思い出すときの第一の場面となっている。記憶はそんなふうに周辺へと飛んでいくものだ。日本に住むひとりの高校生が愛してやまなかったグレッグ・ムーアは、広く知られるとおり姿を消した。

 事故の翌年、ムーアの死によって空席となったペンスキーのシートにはエリオ・カストロネベスが収まり、両者の関係はいまに至るまで続いている。優勝のときにフェンスによじ登って喜びを表現することで有名な「スパイダーマン」は、アメリカのオープンホイールレースの中心がCARTからIRLへと移ろい、やがてインディカー・シリーズへと統合されていったこの14年の間に28の勝利を重ねた一方、シリーズ・チャンピオンの可能性を持った最終戦で4度敗れ去ったのを含めて一度たりとも年間の勝者となることはなかった。そういう経緯を振り返ってみると、もしムーアにペンスキーを運転する機会があったならとさえ言いかねないが、もちろんもはや記憶として語るべき過去を置き換える仮定に意味はないし、ましてその後の歴史を作ってきた人々に対して礼を失した態度でさえあろう。ただ、最初はまぎれもなくムーアの代役としてペンスキーのシートを得たカストロネベスが、いまだチームを替わることのないまま5度目の王者決定に挑む2013年の最終戦の場所があのときとおなじフォンタナだという巡りあわせに、もしかしたら乗っていたはずのドライバーの思い出が色濃く蘇ることになったのだと、たんにそれだけのことである。強いて言えば、わたし自身がムーアの走りを現代のアメリカのなかに追い求めている部分はあるのかもしれない。古き良き時代というにはまだ近年に過ぎるとはいえ、わたしにとってのムーアは、ヨーロッパの洗練とは異なるアメリカのレースの精神性、すなわち決然たる意志と勇気をもっとも具象した存在だった。それがフォンタナにふたたび立ち現れることを期待したのは、いくつかの符合が生んだちょっとした感傷である。

***

 4度にわたりすんでのところでシリーズ・チャンピオンを逃してきたエリオ・カストロネベスは、おそらくゆえにこそ、だれよりそれを悲願として切望し、今季実際にその可能性が現実のものとして大きくなっていくと、地位に固執するかのように本来引き受けるべきリスクさえ冒せなくなっていった。テキサスでの勝利によってポイントリーダーになった6月以降の彼の運転をわたしは何度か頽廃的と評したが、つねに順位なりの走りで安全を図り、後半戦の直接の敵となったスコット・ディクソンを襲った不運にひととおりの満足を得てレースの週末を終えるその姿は、およそシーズンを制するに相応するものではなかった。

 もちろん、チャンピオンのために安定した結果を求めることのなにが悪いのかという見解はありえよう。だがそれは競技者が依って立つ論理であって、観客に徹するわれわれが選手権ポイントという数字のゲームに配慮し、ドライバーの立場に同一化する必要などありはしないはずである。得点表を眺めて一喜一憂する観客がいるとしたら、そこに見ているのはレースではない別のなにかだと断言してもよい。競技者の目的がチャンピオンというたったひとつの場所を占めることだとするならば、観客の特権はそんな思惑を軽やかに躱し、たったひとつのブレーキングを、コーナリングを、レースの一瞬だけを見届ける視座を持てることにある。観客にとっての選手権の意味とは、競技者がそれを欲さざるをえないゆえに発する意志によってより鮮やかなレースの一瞬を認められることでしかない。われわれはいつだって数字の計算を捨て去りレースを「ただ見る」権利を行使できる。安全を求めるカストロネベスは、結局のところ観客のこの権利とまったく対立したわけなのだ。4ヵ月間の彼が観客からの非難に値するのは、選手権という形而上の怪物に踊らされて、足元のレースを、眼前のコーナーを敢然と戦う意志を失っていたからにほかならない。そうやって「観察」という観客の特権を剥奪してしまった頽廃こそ、彼がこの間に犯した深い罪だったのである。

 フォンタナが美しいレースとなったことで、その思いはよりいっそう強くなっている。カストロネベスがヒューストンで4ヵ月の報いを受けるかのごとくスコット・ディクソンの逆転を許したとき、同時に罪を贖う機会が与えられたのだとも予期されたが、まさに25点の差を負いふたたび首位を取り戻さなければならなくなった彼は、とうとう最終戦で今年唯一と言っていいほどの強靭な意志に貫かれた走りを繰り広げ、のみならず自らの情動をトラック全体に伝播させることで、過去の頽廃の一切を洗い流してみせた。レースのほとんどをトップ5圏内で走り、しばしばラップリードを記録しながら、壁への接近もタイヤが接触せんばかりのバトルも厭わないその精神が、やがて具体的な熱量を伴ってディクソンへ、さらに他のドライバーへと広がって、ナイトレースの闇が深まるオーバルコースの中に今季類を見ないほどの絶え間ない緊張をもたらしたことは明らかだった。上位を走るカストロネベスはレース中何度となく仮想ポイントでディクソンを逆転し、それに呼応するようにディクソンも接近戦に身を投じて順位を上げていく。選手権を担う2人の意志が奔流となってトラック全体を覆い尽くし、利益と背中合わせのリスクのせめぎあいが空間を支配するまでに、さほど時間は要さなかったはずだ。レースが終盤を迎えるころには、この日起きたなにもかも、数度にわたる大きな事故や多くの車を襲ったオーバーヒートのトラブルさえ、あたかもカストロネベスが発しディクソンが増幅した熱量によって引き起こされたのだと思わざるをえなくなるほどだった。そのように錯覚させるだけの魅惑的な重力を作り上げた2人の戦いは、スタートから3時間、実に220周以上にわたって続いていた。

 たとえばこんな場面である。トニー・カナーンとのサイド・バイ・サイドを戦い、内側から弾かれて壁際にまで追いやられながらも立てなおして右足を緩めなかったカストロネベスの88周目の素晴らしさはわれわれが今季向けられなかった敬意の対象となり、スコット・ディクソンがウィル・パワーとチャーリー・キンボールの後方からほとんど内側の白線を踏みつつ3ワイドに持ち込んで抜き去った216周目は、アイスマンと呼ばれる冷静な男の、選手権だけを考えればほとんど無用なはずの冒険が成功した瞬間として記憶しなくてはならなくなった。そしてまたその直後、カストロネベスが敢然とディクソンとキンボールに襲いかかり、直接のライバルを乱気流に沈めてまたしてもシリーズの主導権を握りかけたときには、心のうちに湧き上がるのはもはや陶酔だけになっていた。ドライバーの意志と観客の視座がこれほど完全に混交されるレースなどそう生まれるものではない。尽きることのない勇気の衝突に、2013年がすべて満たされていくように思われた。

 それほどに過熱したレースに終わりを望みたくなくなってきたころ、しかし決着は唐突に訪れる。惜しいながらこの文章も閉じる準備をしなくてはならない。完走台数が減少したために逆転の可能性を優勝にしか求められなくなっていたカストロネベスのフロントウイングが突如として脱落した瞬間が画面に映し出されたのは、すでに全車が最後の給油を終えた後の225周目のことだ。緊急のピット作業を余儀なくされて1周遅れに後退した彼がふたたびリードラップに戻る道は完全に途絶え、当然に勝機も潰えることになる。ほどなくディクソンのエンジンもオーバーヒートの兆候を示してレースを戦うスピードは失ったが、仮にそのリタイアをもってしても、すでに25点の得点差を覆すことは不可能な状況になっていた。レースの終わりは得てしてこういうものだ。カストロネベスを襲った今季最後の不運によってゆくりなく精神の昂揚を断ち切られた2013年のインディカー・シリーズは、直後にセバスチャン・ブルデーの単独事故とチャーリー・キンボールのエンジンブローによって2度のイエロー・フラッグを頂き、最後にはウィル・パワーの予想されなかった2年ぶりのオーバル優勝を余韻として思いがけず静謐な終幕を迎えた。

 1年の締めくくりとして、すべてのレースを記してきたこの一連の記事にもいちおうの結論を決めておくべきだろうか。カストロネベスは敗れ去り、畢竟歴史にはスコット・ディクソンの3度目の戴冠が記録されることになったが、終わってさえしまえば、ごくごく自然な、そして歓迎すべき結末に収まったということなのかもしれない。2013年にカストロネベスがポイントリーダーとして過ごした時期の大半は、彼が他のドライバーよりもポイントを獲得しているという単純でおよそ偶然的な事実以上の価値を見出せない状況でしかなかったことは間違いないし、またそのために今季のインディカーに恐れの枷鎖をかけてしまったこともたしかである。怯えを隠せないポイントリーダーが課した桎梏の罪深さは、そこからついに解放されたフォンタナに横溢した清冽な緊張によって逆説的に証明された。その責任の大半を担うカストロネベスが「チャンピオン」についてよいわけがなかった――彼を非難するためでなく、彼にふさわしい勝利の瞬間が別の機会に訪れる可能性を信じるからこそ、そう思う。カストロネベスは敗れるべきだった、しかし同時に、彼が最終戦にもたらした緊張は最後の最後に正しい敗者の形を示してもいたのだ。かつてわたしがグレッグ・ムーアに夢想したシリーズ・チャンピオンの姿、アメリカン・モータースポーツの理想の頂点は、「決然たる意志と勇気」が剥き出しになった先にこそ存在していた。だから讃えよう。恐れを振り払い、己の一貫した意志を赤条々に突きつけてなお届かなかったエリオ・カストロネベスの敗北は、頽廃のままに逃げ切った偽りの王者としてただ記録に名前を残すよりもはるかに気高く、インディカーの中に肯定されなおすはずだ。われわれは最終のフォンタナの楕円に、そのことを知ったのである。

ついに下された罰によって閉幕は彩られる

【2013.10.5-6】
インディカー・シリーズ第17-18戦 ヒューストンGP
 
 
 週末を費やして行われた2レース連続イベントの2日目もまもなく終わろうとしていた90周目の半ばに不運にも事故に見舞われたチップ・ガナッシのダリオ・フランキッティが一足早く2013年の舞台から退場してしまったことで、どうやらインディカー・シリーズは役者を一人欠いて最終戦を迎えることになったようだ。ターン5のフランキッティが、いくつかのミスによってタイヤのグリップを失い速度を落としていた佐藤琢磨のリアに乗り上げて宙を舞ったさまは、2010年インディ500のやはり最終ラップにマイク・コンウェイを襲った危機的な事故をじゅうぶんに思い起こさせたが、観客にまで被害を及ぼすほどの勢いでフェンスをなぎ倒したDW12を運転していた彼が負った怪我も脳震盪と脊椎および右足首の骨折という、コンウェイにオーバルレースからの引退を意識させるきっかけになったのとおなじくらい重いものだった。インディカーではこの種の事故が不可避の可能性として存在するということが、結局あっさりと発生した現象によって証明されてしまったということだろう。全開で駆け抜けるべきコーナーで失速した前走車に乗り上げ車体が空へと飛ばされるのはまさしくコンウェイの事故に酷似しており、また2011年にラスベガスでダン・ウェルドンの身上に降りかかった災厄も同様の場面から訪れた。2人は高速のオーバルレースで大きな事故に遭遇したが、皮肉なことにヒューストンのターン5の様相は、曲がりの左右と見通しの悪さを別にすればどことなくオーバルコースの一部のようでもある。悲劇を繰り返さないために設計され事故死したウェルドンの名を冠した「DW」なるシャシーでさえ、高速下での危険を遠ざけきれるものではなく、安全のために不断の努力が求められるという当然の教訓を、今回の事故はあらためて示唆した。すべての命が無事だったことを、ひとまず最低限の果報として喜ばなくてはならない。

 しかしそうした安堵を前提としたうえで、最大の被害者に関しては、もしかしたら、という気持ちが湧きあがりもする。所属するチップ・ガナッシの復調に歩調を合わせることができず、速さがチームメイトのスコット・ディクソンのほうに集中するなか、ヒューストンの週末もまたダリオ・フランキッティのものにはならないまま、畢竟日曜日の最終ラップが最悪の週末の締めくくりとして最悪の形でもたらされた。事故は紛れもなく不運だったと言えるが、しかし思い返してみるとそれを除けばいつもどおりのフランキッティでしかなかったと言えてしまう程度のレースだったのもたしかだ。実際、今季の彼はこんな走りを虚しく反復している。ペースをうまく作ることができず、ときになんでもないコーナーでスピンを喫し、周回遅れにさえ追い込まれた2日間は結局2013年をわかりやすく象ったにすぎない。どんなドライバーにもいずれ訪れる衰えの証拠のような場面ばかりを印象づけられて、昨季のF1で何度も確認することになったミハエル・シューマッハのいささか寂しい落日さえ連想させる今の姿を見ると、近い未来のことが気にかかるようになってくる。たぶん、今回の怪我が治るまでチップ・ガナッシは快くシートを空けておいてくれるだろうし、その猶予が与えられる、特別扱いが許されるだけの実績を彼は積み上げてもいる。だが偉大なる4度のシリーズ・チャンピオンは、2014年のシーズンに戻ってくるだけの気力と、体力と、そしてなによりも重要なスピードを、まだ保ちつづけることができるだろうか。やはり背中を痛めて棒に振った2003年の場合は何事もなく翌年に復帰してみせたものの、もう10年も前の話で、すでに40歳を過ぎたいまがキャリアの晩年に差し掛かっていることは疑いようもない。2週間後の最終戦が、彼の永遠の不在に慣れておくためにゆくりなく用意された予行の場になったとして、それをだれが否定しうるだろう。

 いや、もとよりわれわれはこの1年間を通して、ちょうど2度目の引退を迎えるまでの3年のあいだにシューマッハの移ろいを受け止められるようになったかのごとく、フランキッティとの日々に別れを告げる覚悟を徐々に固めるように仕向けられていたのかもしれない。今回の事故にしたところで、そもそも佐藤に「追突」するような場所を走っていた事実、チャーリー・キンボールでも、もちろんディクソンでもなく、フランキッティ自身がチップ・ガナッシ勢の最後尾だった事実、そしてなにより、その状況を異常と認める理由もさしてない事実が、われわれのフランキッティに対する態度が変わりつつあることを雄弁に物語っている。役者を欠いたと記してはみたものの、はたして降板の憂き目にあったその役者が演じられたのが一流の芝居だったと断言することには、もう少し慎重を要するようだ。かりに怪我を負うことなく最終戦のグリーンフラッグを迎えていたとして、しかしついにポイントリーダーとなったチームのエースを強力に援護する走りなどとうてい期待できなかったと推測することは、この一年をあらためるとごく自然なことでもある。快方を願う心とはまた別の次元の問題として、選手権に目を転じればフランキッティの離脱はその帰趨に良くも悪くもたいした影響を与えそうにない――慣れない車を運転することになる未知の代役とさほど変わらない働きしかしないだろう――と、そんなふうに思えてくる。結局のところ、2013年の選手権にフランキッティが顔を出す資格を有しているはずもなかったのだ。

 あるいはフランキッティが退場を余儀なくされたそのレースでペンスキーのウィル・パワーがディクソンを抜き去って勝利し、シーズンへの実質的なとどめを食いとめる献身をみせたが、それにしても事実この1ヵ月間のパワーはおそろしいほど「献身的」だった。彼が、いくつかの犠牲(それは相手方にとっての不運にすぎなかったと、ここでは上品に片付けておく)を伴ってディクソンから奪い去ったポイントは40や50で足りるものではない。パワーの走りに寄りかかることでチームメイトのカストロネベスは選手権を延命し、勝利から遠ざかるようなレースの反復を罰せられることなく逃げ延びてきた。功罪相半ばする結果をもたらしたそのスピードは、過去数年にわたってそうだったように、ペンスキーのエースは本来パワーにほかならないことを意味しているはずである。おそらく来年になればまた本命としてシリーズに戻ってくるだろうが、しかし今季に関しては手遅れになってしまったようだ。自らの立場を知りチームメイトに尽くしたものの、あまりにあからさまな献身に優れすぎていたことも彼にとって不幸だったかもしれない。選手権の資格という意味ではフランキッティとなんら変わることなく、パワーもまた最終戦の傍観者とならざるをえなくなった。結局のところ、選手権を争っているのはスコット・ディクソンとエリオ・カストロネベスということなのである。フランキッティの退場もパワーの献身も刺激的な事件ではあったが、みな早々に過去の出来事となって、われわれの10月19日は2人を見守るためにこそ訪れるのだろう。

***

 過去に繰り返し書いてきたように、リスクを避けるだけの運転に囚われつづけてきたカストロネベスの怯えは、ヒューストンの2つのレースで今季一度も起こっていなかった車輌トラブルが続けざまに発生し、シーズンの半分にわたってしがみついてきた選手権首位を土壇場で明け渡すという、おそらく自身にとってほぼ最悪に近い形で報いを受けた。いまだ座り心地を知らないチャンピオンの座にひたすら固執し、ディクソンとの得点差を計算しながら逃げ切ろうとする矮小な企みはすでに潰えてしまっている。だが言うまでもなく、ライバルの4勝に対し自分はひとつしか勝っておらず、9月にチップ・ガナッシを襲った陰謀めいた不運さえなければとうに決着していたはずのシーズンである。そのうえリーダーとしてあるまじき頽廃の報いさえ、寛大にも最終戦の前に再逆転の可能性を残して与えられたのだ。前回の記事で願ったように、カストロネベスは頽廃から脱却する機会をついに得たのである。これほどの恩恵に与った彼に最後くらいは自分自身を擲って攻めに転じることを望んでみるのもそれほど贅沢な要求ではないだろう。彼はいよいよ自分しか依って立つものがなくなっている。ここに至ればチームからの援護など意味はないし、そもそも決着の舞台となるオーバルコースでは同僚のパワーにもこの数戦のような走りを期待するわけにはいかない。またあるいは立場を変えてディクソンを見ても、信頼に足るチームメイトを(フランキッティの在不在にかかわらず)抱えているわけではなく、自力でカストロネベスから逃げきれる場所を走りつづけることが求められよう。2013年のインディカー・シリーズは、最終戦を前にカストロネベスが罰せられたことで、ついに選ばれた挑戦者がおたがい自らの力を頼みに戦うよりほかなくなったのだ。

 ヒューストンを終えた時点で、ディクソンとカストロネベスには25点の差がついた。追う側が優勝しても逃げる側が8位以下に沈まなければ逆転しないこの点差はもちろん簡単ではないが、しかし最終戦のフォンタナ・MAVTV500が3ヵ月ぶりのオーバルレースであることはカストロネベスにとっていくぶん明るい予定だろう。彼自身唯一の勝利であるテキサスがオーバルだったことはもちろん、シーズンの半ばごろに集中して開催されたオーバルレースはほとんどカストロネベスが使うシボレーエンジンのチームに席巻され、ディクソンの使用するホンダエンジンは特殊なレイアウトのポコノを燃費レースに持ち込んで攫っただけに終わっている。オーバルにおける今季のディクソンの平均順位12.0位は、たとえ計算のなかに彼の復調後の成績がほとんど含まれていないとしても、あるいはという可能性を感じさせるはずだ。しかもオーバルレースはともすれば一度の失策が即座にリタイアに結びつく。ディクソンがなにか取り返しのつかないミスを犯すことも――他のドライバーに対して期待するより遥かに楽観的な願いではあるが――ないではない、といったほどの材料を揃えれば、カストロネベスも最終戦まで多少なりとも希望を持って過ごすことはできる。

 最終戦である。なにもカストロネベスの肩を持つつもりなどなく、もちろん小さくないリードを築いたディクソンが優位にいるのは明らかだ。ただ、追う側に回ったカストロネベスが、困難ではあるが現実に逆転への道をイメージできるほどの状況下でレースを迎えられるのだということをあらためてわかっておくのは有益だろう。最終戦に問われるのはダリオ・フランキッティの退場でもウィル・パワーの献身でもなく、もはやエリオ・カストロネベスとスコット・ディクソンという偉大な2人のドライバー自身の覚悟、選手権を貫く意志だけになった。それは悠長な立場で眺めるわれわれ観客にとってなによりも幸いなはずだ。おたがいの意志が協奏し、フォンタナの楕円のなかに美しい閉幕を見せてくれるとすれば、乱れに乱れたこのシーズンの締めくくりとして、いくばくかの満足を得られるはずである。

本当の被害者はきっとウィル・パワーだった

【2013.8.25】
インディカー・シリーズ第15戦 ソノマGP
 
 
 それが事件であったことは疑いようがない。そして、たんなるひとつのアクシデントとしての事件にとどまらず、もしかするとスキャンダルへと発展しかねないことも間違いないだろう。インディカー・シリーズの第15戦で起こった危険な事故について、規則は一方の当事者であるスコット・ディクソンに罰を科すことを決定した。選手権のリーダーを直下で追いかけているディクソンは、レースで最後となるタイヤ交換と給油を終えて発進する際、眼前に配置されたペンスキー・レーシングのピットでウィル・パワーのタイヤ交換作業を終えたばかりのクルーを撥ねとばした。レースを解説していた松浦孝亮の第一声が「ディクソン終わった」だったことからも察せられるように、事故は、ホイール脱着用のエアガンを踏みつけたり置いてあるタイヤに接触したりするのと同様に、あるいは起きうる事態の深刻さを考えればより重い罰則の可能性を直感させるものだった。一度は完全に宙を舞ったそのクルーと、巻き込まれた2人はみな幸いにも打ち身程度で済んだものの、轢かれた側のペンスキーと轢いた側のチップ・ガナッシ・レーシングの関係者が揉めているような映像に代表された喧騒ののちに、はたして今季4勝目をほぼ手中に収めていたはずのディクソンは事故の責任を問われてドライブスルー・ペナルティを宣告され、序盤から続出したフルコース・コーションのために維持されていた隊列に呑み込まれて15位でレースを終えることになる。パワーとおなじくペンスキーでドライブするエリオ・カストロネベスに対してほとんど同点にまでなろうとしていた選手権ポイントはレースの終了とともに39点差にまで拡大し、シーズンは4戦を残すのみとなった。ソノマ・レースウェイの64周目は、その1周の最後に生じた出来事によって、あるいは2013年のインディカーのすべてを左右しようとしている。

 事故についての議論が収まることはおそらくない。レース後に出された “That’s probably the most blatant thing I’ve seen in a long time”「長い間見てきた中で、たぶんいちばんあくどいやり口だ」というディクソンの披瀝は「加害者」とは思われないほどの悪態と言ってもよいが、彼とは違って利害を持たず、操縦席の外からレースを長い間見てきたわれわれもまたおなじように感じられるにちがいない。事態を仔細に眺めてみれば、ペンスキーのピットでウィル・パワーの右後輪脱着を担当したクルーは作業を終えた直後に――すぐ後ろにいたディクソンが走り去るのをその場で待てばいいのに、そうすることもなく――古いタイヤを片付けにかかり、わざわざ接触しやすい持ち方でディクソンの進路を妨害するように抱えて、ジャッキマンが発進するパワーの車を押そうと身構えるその後ろ足よりもさらに後方を悠然と歩いていたところでタイヤごと飛ばされる形で事故に遭遇した。だから、いささか四角四面に現象にこだわれば、ディクソンはクルーを轢いていない。クルーのほうが当たれとばかりに突き出したタイヤに、そのとおり接触したにすぎない(「すぎない」と言ってしまってもいいだろう)のだから、正当な進路を塞がれたのはむしろ自分の方だと主張することもできるし、事実コメントにはそういう怒気がこもっている。あの行動にあきらかな一定の意図を、ハンロンの剃刀では削ぎ落としきれない悪意を見て取ることは容易なはずだ。戦略担当であるティム・シンドリックは頑として否定するだろうが、しかしペンスキーにとって、それはたまたま映像が衝撃的に見えてしまっただけの、発生しても構わない事故だったのではないか。

 たしかに、チームのガレージごとに整然と区切られ一度に1台しか作業が許されないF1と違い、十数台が入り乱れることもあるインディカーのピットではしばしば物理的な妨害が行われ、名物になってもいる。前後の車のピットイン/アウトのラインを最大限窮屈にするためタイヤを自分の領域ぎりぎりの端に置いておくのは、とくにコース上の全車がピットイに飛び込んでくるようなフルコース・コーション中の日常的な光景で、むしろその程度の嫌がらせを平然と際どくやってのけることこそピットロード側で作業をするクルーが持つべき資質のひとつでさえあるだろう。だがこうした空間の削り合いなどの慣習は、裏を返せばピットの中でお互いが自ら侵しえない領域を暗黙裡に規定しあっている事実を、現実のピットボックスの存在よりも鮮明に示しているにほかならないし、だからこそ接触に対する罰則が無条件に甘受すべきものとして共有されてもいるのである。ディクソンはごく自然に、いつもどおり、相手の領域をかすめるように発進し、その当然の進路上をペンスキーのクルーは歩いていた。blatant――「あくどい」また「露骨な」という意味もある――なる非難からは相手が領域の外、もはや存在が尊重されるべくもない空間であからさまに接触を試みた(ように見えた)ことが窺えるが、そこはたしかに侵されてはならず、侵された覚えもない場所だった。

 だがどれだけ声を荒らげようとも、ディクソンの非難が届く先はない。ペナルティによって失った何もかもを取り戻す方策がないことはもちろん、万が一相手を事後的に罰する僥倖に恵まれたとしても、本当に裁きたいのは事故の当事者のパワーではなく選手権を争うカストロネベスであり、この直接のライバルはコース上の出来事において完全に事故と無関係だからだ。規則は現実の危険を罰するために存在しているのであり、裏に潜む悪意のすべてを汲み取って裁きを与えるようにはできていない。たとえピットクルーの行動に明白な悪意が存在したことを証明できたとしても、カストロネベスが手にした結果を覆すことは難しいと理解できるからこそ、ペンスキーは安全を破壊する誘惑に抗わない道を選んだ。それが特定のだれかの決断と指示であったと推測はしないし、また本当に具体的ななにかがあったとも思わない。ただ、あたかもチームの一般意志として賢明なクルーが自然にそう動く程度には利益をもたらす行動だというだけの話である。

***

 ペンスキーがシーズンの利益に重きを置いたことは、しかしウィル・パワーの勝利に影を落とした。彼にとって待ち望まれていたはずの今季初優勝が祝福されざるものになってしまったのは、軽傷とはいえクルーが怪我を負ったことや疑惑によってディクソンから勝利を奪い去ったことによるものではない。すでにチャンピオンの可能性をほとんど失っているパワーはレースの前に、初めてのチャンピオンへと歩を進めるカストロネベスをチームメイトとしてできるかぎり援護したいとインタビューに答えている(過去数年、自分自身がチャンピオンを争う立場にあったときには得られなかったにもかかわらずだ)。そして事故は、まさしくカストロネベスをこれ以上なく援護した。レースを実況した村田晴郎が端的に指摘したように、あの瞬間のペンスキーにとっては、接触の咎をディクソンに負わせ罰則へと誘導することが最高の結果で(実際それは果たされた)、そのためにパワーを犠牲にすることを厭う理由はなかったはずなのである。エリオ・カストロネベスを選手権で優位に戦わせ、最終的にポイントリーダーのままシーズンを締めくくること。その一事だけに関心を向けたとき、もはやパワーの順位はチームとしての意義をほとんど持ちえなくなってしまっている。

 パワーにとって不幸なことに、ピットにはペンスキーとカストロネベスの最大の脅威となったディクソンをblatantに妨害できるだけの要素があまりにも揃いすぎていた。先頭を走るディクソンを追いかけていたパワーはコース上のバトルで勝利しその得点を削ることでチームに貢献できる可能性を持っていたが、チームは目の前に用意された、より安易で、効果的で、利益の大きい一手を採用したのである。それは肉体的に厳しいソノマで懸命に厳しいレースペースを刻んでいたパワーの努力を蔑ろにし、完全に無視するような選択だった。結局、スキャンダラスに引き起こされたあの瞬間はペンスキーの、ディクソンではなくパワーに対する「blatant」の証明として突きつけられているように見えてきてしまう――彼の背後で発生し、彼自身が当事者でありながら、彼を主体とする事故では微塵もなかったのだ。あるいは当事者であったゆえにむしろ、主体たりえないことをより強く思い知らされたと言うべきかもしれない。85周目に至るまでパワーは責任を問われることなく優勝を遂げたが、そこにペンスキーの意志はこもっておらず、ただひたすらに結果としての勝利でしかなかった。レース後の喜びにペーソスを感じさせるところがあったとしたら、きっと本人がその意味をよく理解していたからに相違ない。