佐藤琢磨はまだ優れた一面を隠している

【2018.9.2】
インディカー・シリーズ第16戦 グランプリ・オブ・ポートランド

 
 最初のグリーン・フラッグが振られてまだ20秒しか経たないターン3で、ザック・ヴィーチの内を突こうとしたジェームズ・ヒンチクリフが行き場を失って縁石に乗り上げ、相手のサイドポンツーンを押し出すように衝突したかと思うと、後輪が着地と同時に流れはじめて修正もむなしくスピンしたのだった。スタート直後で後方の隊列は密集しており、すぐ後ろを走っていたジャック・ハーヴィーは回転するヒンチクリフにフロントウイングを壊されながらも左側のグラベルに退避することによってかろうじて難を逃れたのだが、さらにその直後にいて視線を遮られていたエド・ジョーンズにとってはそれが仇となった、ハーヴィーへの追突を避けようと右に進路をとったところ、目の前に横を向いて止まったヒンチクリフが立ちはだかっていて、すべての逃げ場を失ってもはやどうすることもできなかったのだ。混乱を間近で目撃したマルコ・アンドレッティは右にコーナリングしながらも即座に減速を試みたものの、不幸にもその優れた反応がグレアム・レイホールの追突を惹起してしまい、車体の左後方を押されてやはりスピンするしかなかった。180度回ったところでリアのグリップが回復したマルコの車は急に回転を緩めてまっすぐ後退をはじめ、事故で止まりかけた車に乗り上げて、ジョーンズの、ついでヒンチクリフのオンボードカメラをもぎ取りながら頭上を跳ねるように乗り越えていったのち、支えを失って逆さ向きに落下する。ちょうどそのとき、事故をすり抜けていったハーヴィーが巻き上げた砂煙で視界はまったく利かず、ヘリコプターからのカメラではマルコをスピンさせたレイホールもまたなすすべなくコースを外れタイヤバリアに車体の左側を激しくぶつける様子がわずかに覗く、と同時に混沌の中心、一瞬にしてスクラップ置き場のようになってしまった事故現場の中心に向かって、僅差で選手権の首位をゆくスコット・ディクソンが、急ブレーキをかけて姿勢を乱しながら、進路を選べずに突入していくのが目に飛び込んで、この波瀾がレースにとどまらず拡がっていく可能性を思わせる。事故の起こる少し前、密集の中で行き場を失ったサンチノ・フェルッチと佐藤琢磨、それからトニー・カナーンがターン1を通過せずに短絡してターン3の手前で合流している、彼らは正当でないやり方で順位を上げる利益を得たようにも見えたが、事故のためにすぐさまフルコース・コーションが導入されたので有耶無耶になるかもしれない。11年ぶりに開催されたポートランドはこうして黄旗とともに始まった、そして結局、このなりゆきがチェッカー・フラッグに至るまで影響を及ぼし、結果を左右するようなことにもなったのだ。
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ふとしたときに思い出すのは、たとえばきっと佐藤琢磨のブレーキングだったりする

【2018.7.15】
インディカー・シリーズ第12戦 ホンダ・インディ・トロント

 
 モータースポーツにおけるパッシングの美は、落差の発するエネルギーによっているだろう。タイムトライアルではない自動車レースでの攻防は、おそらくその速度域と使用する道具それ自体の大きさのために、他の競技と比べた場合に防御側がある程度有利な構造となっている。前を走る車は主体的に走行ラインを選び、自分自身が物理的な障壁となって最短距離を塞ぐことで攻撃してくる相手の前に立ちはだかることができる。コーナリングの優先権は先に進入したほうにある。速さと大きさによって生じる気流の乱れさえ、後ろから迫ろうとする車には不利に働くのだ。だれもが知っているとおり、だからパッシングは攻撃側のタイムがただ速いだけでは必ずしも成功しない。1周にわたってわずかずつ積み重ねる速さでは足りず、ほんの一瞬だけ全長5m、幅2mにおよぶ物体の位置が入れ替わるに足る大きな速度差があってはじめて可能性が拡がる。その瞬間を逃さず捉えようとする、たとえばブレーキングによって時速十数マイルの差を生じさせること。レーシングドライバーの魅惑的な運動のひとつはそこに見出すことができよう。
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それでも勝者はわからない

【2017.6.3-6.4】
インディカー・シリーズ第7-8戦 デトロイトGP

 インディアナポリス500マイルが終わったところで6戦、2017年のインディカー・シリーズはそのすべてを違うドライバーが制している。チーム・ペンスキー4人のうち3人が1勝ずつ上げているのはさすがのチーム力といったところだが、唯一勝利がなく年齢的にも立場が危ういだろうエリオ・カストロネベスが平均的には好調で、選手権ではもっとも上位にいるのだから状況は厄介だ。インディ500のペンスキーは彼が惜しい2位に終わったものの他のレギュラー3人に見せ場はほとんどなく、あげくウィル・パワーとジョセフ・ニューガーデンは184周目の多重事故に巻き込まれてスポット参戦したファン=パブロ・モントーヤが6位になるような有様だった(シモン・パジェノーにいたっては見る影もない!)。2年前のチャンピオンであるチップ・ガナッシ・レーシングはいまだ勝てず、翻って弱小と衆目の一致するデイル・コイン・レーシングとシュミット・ハミルトン・モータースポーツが1勝ずつしているとなれば、およそレース前に結果を予想しようというのは無謀な試みにしか思われない。
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15年に及んだ真実の佐藤琢磨を探す旅が終わりを迎える

Photo by Chris Owens

【2017.5.28】
インディカー・シリーズ第6戦 第101回インディアナポリス500マイル

 死闘の果てに、佐藤琢磨はインディアナポリス500マイルを勝とうとしていた。199周目のターン1である。3番手の彼は前をゆくダリオ・フランキッティがチームメイトのリーダーを交わしていく動きに乗じてインサイドのわずかな空間を突き、盤石の1-2態勢を築いていたように見えたチップ・ガナッシ・レーシングの隊列を分断した。最内のラインを奪われたスコット・ディクソンは失速し、瞬く間に勝機を失ってしまう。対する佐藤の勢いはまったく衰えていない。ターン2で差を詰め、バックストレートでさらに近づく。ターン3の立ち上がりは完璧で、相手よりわずかに小さく回って一瞬早く加速を開始した。ターン4を抜けた先のホームストレートはこのとき向かい風だった。空気の壁に阻まれて伸びを欠く赤いチップ・ガナッシに襲いかかる。ターン1はすぐそこに迫り、フランキッティはドアを閉めきれず車を外に振る。佐藤はその空間に飛び込んだ。優位は圧倒的に内側にある。だれもが最終周での逆転を確信した瞬間だった。
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映るのは少女か老婆か

【2017.3.12】
インディカー・シリーズ開幕戦 セント・ピーターズバーグGP
 
 
 2017年のインディカー・シリーズはウィル・パワーがポール・ポジションを獲得して始まった。ごくごく当たり前に見知った光景だった。2010年からこっち、次の年もそのまた次の年も、昨年にいたるまでこの選手権はそういうふうに始まるものと決まっていた。正確にはこの間1回だけ日本人に特等席を譲っているのだが、そんなのはちょっとした例外だ。だから今年もセント・ピーターズバーグでいちばん速いのはパワーなのだと最初からわかりきっているのだったし、日本時間でいえば日曜日の未明にコーヒーを沸かしながら予選を見届けたあと、肩をすくめて「ほらね」とつぶやく以外の反応が起こるはずはなかった。それは何一つ意外なところのないタイムアタックで、だからわたしはその結果に心動かされることなく自分の出場するカートレースの身支度をはじめていた。待ち望んでいた開幕とともに過ごすには少々慌ただしい休日の朝だったが、自分や普段から活動をともにするチームメイトに関連する大会が3つもあって、わたしの心はまずそちらへと向いていたのである。 続きを読む

インディカーの勝者は必然と偶然の交叉点に立つ

【2016.7.17】
インディカー・シリーズ第12戦 インディ・トロント
 
 
 インディカー・シリーズのレースはその構造ゆえに論理の積み重ねにを断絶すると書いたのはつい先週のことだ。ゆくりなくやってくるフルコース・コーションが隊列を元に戻してあたかもさいころが振り直されるように展開が変わり、最後には大なり小なり偶然をまとった勝者を選び取る、そこにはスタートからゴールまで通じた一貫性のある争いが存在しないというわけである。もちろんこのことは競技者の努力がはかない徒労であることを意味するものではなく、賽によって翻弄されることを前提とした正しい戦いは存在する。周回を重ねる過程において、強い競技者は賽の多くの面を自分の名前に書き換えていき、弱者はやがてあらゆる面から名を消されて勝利の可能性を剥奪される。スタートから積み木をひとつずつ積みあげるようにレースを作っていくのではなく、そのようにしてレースを決定づける賽を偏らせようとするせめぎあいに、インディカーの特質はある。最後の最後に運に身を委ねなければならない事態がありうると知ったうえで、せめてその確率を支配しようとすること。必然と偶然が交叉する場所に、インディカーの勝者は立っている。
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シモン・パジェノーと佐藤琢磨のターン1、あるいはウィル・パワーは開幕の不在によって2016年の主役となる:

【2016.3.13】
インディカー・シリーズ開幕戦 セント・ピーターズバーグGP
 
 
 2016年の選手権で最初に記録された得点はウィル・パワーの1点だった。2年前の一度だけ佐藤琢磨にその座を譲った蹉跌を除き2010年代の開幕すべてを自らのポールポジションで彩ってきたパワーが今年も飽きることなく予選最速タイムを刻んだのだったが、これはあたかも、観客に対してインディカー・シリーズの変わることない正しいありかたを教えているようにも思えてくる。いわばこれは競争ではなく、そうあるべきものとして執り行われる儀式である。きっと、セント・ピーターズバーグの指定席を短気な童顔のオーストラリア人が予約することによって、はじめてインディカー・シリーズは一年の始まりを迎えるのだ。いつものウィル・パワー、いつものチーム・ペンスキー。予定調和の開会宣言。前のシーズンの終わりから数えて6ヵ月以上もレースのない時間を過ごしてきた観客にとって、そんな儀式めいた繰り返しの出来事は、空白を埋めてふたたびインディカーの営みへと戻っていくのにちょうどよい心地よさを抱かせる。これはわれわれの知っているインディカーなのだと。
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語りえぬことに口を開いてもろくなことにはならない

【2015.5.30-31】
インディカー・シリーズ第7-8戦 デュアル・イン・デトロイト
 
 
 最大の祭典であるインディアナポリス500マイルから5日空いただけでもう次の決勝が始まるのだから、関係者はもちろん、現地からようやく火曜日の夜に帰宅した日本人ならずとも少しは落ち着けと言いたくなろう。天も似たような気持ちだったのかどうか、インディ500には遠慮した雨雲を、大きな利息をつけてデトロイトに引き連れ、混乱に満ちた週末を演出してしまうのだった。土曜日のレース1、日曜日のレース2ともに突きつけられた赤旗は、レースを唯一断ち切る旗としての暴力によって、今季ここまでかろうじて認められてきたシリーズの一貫性を奪い去っていった。このブログはレースにおいて複雑に絡みながらも始まりから終わりまで一本につながる線を見出し、テーマとして取り上げて記していきたいと考えているが、気まぐれな空模様や凹凸だらけの路面、そして数人のドライバーの不躾な振る舞いと楽観的すぎる(あるいは悲観的すぎる)チームの判断は、デトロイトの週末からあらゆる関連性を切り離し、すべての事象に因果のある説明を与えようとする態度を拒否するようだった。なぜレース1でカルロス・ムニョスが勝ち、レース2をセバスチャン・ブルデーが制することになったのか、もちろん原因を分析して答えることは可能だが、その原因に至る道筋にはまったく理解が及ばない。はたして土曜日の始まりには、インディ500がそうであったように、結局チーム・ペンスキーのための、付け加えればこの都市を地元とするシボレーのための催しになるとしか思えなかったダブルヘッダーは、わたしの頭にいくつもの疑問符を残したまま過ぎていこうとしている。
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「敗者」は佐藤琢磨だけだった

【2014.3.30】
インディカー・シリーズ開幕戦 セント・ピーターズバーグGP
 
 
 いささか旧聞に属する、といってもいまだ継続中のできごとではあるのだが、ともかくその事故についてあえて誤解を恐れず述べるとするなら、偉大なF1チャンピオンだったミハエル・シューマッハがスキーの最中に頭部を強打して意識不明の重体に陥ったという報に接したとき、わたしに何らかの情動が引き起こされたかといえば、たぶんそんなことはなかったのだった。偽悪を気取りたいわけでなく、もちろん人並みに驚きはしたし、平均的なモータースポーツのファンと同様に心を痛めたとは思う。それでも2011年のラスベガスでやはり偉大なインディカーのチャンピオンだったダン・ウェルドンの死亡事故を目撃してしまったときに比べれば、感情の波はずいぶんと穏やかなものだったはずである。

 レーシングドライバーがサーキットで命を落とす衝撃と比較したら、というような話ではない。だれだってそうであるように、わたしにはわたし自身の生活と、感傷を抱く範囲がある。かつておなじサーキットを走った仲間をはじめとした彼に近しいひとびとと同様に振る舞えるわけがないのは当たり前のことで、AUTOSPORT webなどに並んだ一連の記事を読みながら、シューマッハという存在が急速に過去へと流れていき、自分が心を差し出すべきモータースポーツからはすでに去ったあとだった――それに対して、当時のウェルドンはまさしくその中心にいたのだ――とあらためて気付かされた、そういうシーズンオフがある年に存在したということである。

 モータースポーツは結局のところ今の情動なのだと何度か書いてきた。ひとたび車がコントロールラインをまたげば時計は容赦なく、1秒を1000ものあわいに切り刻んで、どんなときでも、だれにとっても、公平に、戻ることなく動きはじめてしまうのであり、一瞬と呼ぶことすら生ぬるいその今だけがすべてであるモータースポーツを過去に遡ってなお今のままとして書き留めようと信じるために、視線はひとつのコーナーの頂点にしか向かなくなってしまうものなのだ。一足早く始まったF1でも、3月最後の週末に開幕を迎えたインディカー・シリーズでも、われわれが抱くべき感傷は最後にはレースを微分した先だけに存在し、だからこそ目の前のレースを見る以外にない、できないのだと、ここでくらいは言い切ってしまっていいのかもしれない。

 2014年インディカー・シリーズの端緒となるセント・ピーターズバーグでの連続ポールポジションを4回で止められたウィル・パワーが新しいポールシッターとなった佐藤琢磨を抜き去った31周目のターン1からターン2、この場面を見るだけで週末のすべてに満足すべきだろうと感じられるほど濃密で良質な数秒間が、開幕戦の進路を佐藤のレースからパワーのレースへと変えさせた交叉点だったことはだれの目にも明らかだろう。このバトルが生まれた31周目までのうち28周をリードした佐藤と、首位を奪ってからゴールまでに76周のラップリードを積み上げたパワーとを合わせてふたりでレースの97%を制圧した事実を持ち出すまでもなく、この日勝利に挑んだと表現することが許されるのは、実際に圧勝したパワーと、最終的には7位という見た目には凡庸な順位に終わった佐藤だけだった。

 110周のうちの31周目のできごとが勝敗に直結した事実は、裏を返せばそれ以外の場面に異なるレース結果を生み出すかもしれなかった可能性がどこにも現れなかったことを意味している。佐藤を抜き去ったパワーは、そこからチェッカー・フラッグを受けるまでなんの危機もなく、ピット作業で一時的に順位を下げたときを除いて首位を譲らなかった。強いてあげれば82周目の終わり、フルコース・コーションから再スタートする際にリスタートラインの認識の違いによって生じた混乱がもしかしたらレースの綾になったかもしれなかったが、結局のところ原因となったパワー自身にはなんの被害も及ばなかったし、混乱のなかで不運にも起きてしまったマルコ・アンドレッティとジャック・ホークスワークの事故はレースの本質とはおよそ無関係なもので、ペースカー導入周回を少し延ばす効果を生む程度のできごとに終わった。そしてほとんどそれだけだ。セント・ピーターズバーグで起きたそのほかのことは、覚えておくほうが難しい。

 たとえば2位に入ったライアン・ハンター=レイの姿を見た人が、この日曜日にいったいどれくらいいたというのだろう。最後にはパワーに2秒差まで迫れるスピードを備えていたはずなのに、その走りに心揺さぶられる――国籍を超えて、と言ってもいいが――時間などいつまでも訪れなかったではないか。終盤にようやく導入されたペースカーを利してエリオ・カストロネベスを抜いてはみたものの、あとはぼんやりとパワーの背中を眺めるだけで過ごした結果、2位という順位が舞い込んできたにすぎなかったのであり、勝者をレースにおいてリードする者だと置くならば、1周たりともラップリードの欄に名前を刻めなかった彼に、勝利に挑む資格など最初からなかったのだといえる。

 いやそれだけでなく、最終結果には2位から10位のライアン・ブリスコーに至るまで3人のシリーズ・チャンピオンを含む8人の優勝経験者がずらりと並ぶことになったにもかかわらず、そのなかではっきりとパワーの前にひれ伏すことのできたドライバーは数秒間のバトルの末に屈した佐藤琢磨以外にいなかっただろう。もちろんそれぞれにいくばくかの好感すべき場面は存在しえたとはいえ、レース全体を揺さぶる可能性を感じることは難しかったはずだ。佐藤が敗れたと言える瞬間はまぎれもなく31周目ターン2であったが、ほかのドライバーはその瞬間を知るよしもないまま、自分なりの順位で一日を終えたのだった。それはたぶん敗北とは認めがたい別の結果であり、佐藤がこの日讃えられるべき理由でもある。

 敗北とは、それを勝利の裏返しとするならただたんに1位以外の順位でチェッカー・フラッグを受けることである。だが2位以下に終わったあらゆる者をそうやって同じに括ることはかならずしも正しくない。昨季中盤のカストロネベスがしばしば自分のポジションを守るためだけの姿勢に硬直しつづけたことと、たとえばアイオワで圧倒的な速さを誇ったジェームズ・ヒンチクリフに一太刀を浴びせたのちに乱気流に沈んだグレアム・レイホールの走りを同様に扱うことが歓迎されるはずはないといえば納得がいくだろう。

 1位以外のすべてという膨大な可能性から、なおもわれわれが心から「敗北」と呼べる現象があるとすれば、それは勝者にならんとする資格をつねに持ち続けながらそれでも屈服するということ、1位以外という怠惰な意味に留まるのでなく、どこかの瞬間で血を流しながらなお敵に後れを取った悲劇としてはじめて立ち現れるものである。その意味で、敗北に辿りつくための困難はときに勝利よりもはるかに険しい。昨年のロングビーチで佐藤が遂げた初優勝がそのキャリアの曲折に比してあまりにもあっさり見えたものだったように、勝利がともするとレースの海原に身を任せて漂流することでさえ得られるものでもあるのに対し、真なる「敗北」とは、流れる順番を受け入れるのではなく、杭にでも捕まるようにして抵抗し、そのうえで虚しく根こそぎ薙ぎ倒されるほかはないものなのだ。それはすなわち戦った証である。レースに自分を委ねるものに敗れる資格などない。

 敗北を厳選し意味づけなければならないのは、モータースポーツの、「今」によって引き起こされる情動がきっとほんとうの「敗北」が訪れる瞬間にこそあるからだ(昨年の最終戦がまさしくそうだったように)。たんなる勝利の裏返しではなく、勝利への意志が無残にも引き裂かれることではじめて出現する敗北を観戦者の特権として発見し称揚することで、われわれは貴重な燃料が怠惰のなかに消費されることを拒否し、レースに価値を与えるのだと信じることができる。そこには豊かな観戦場所があるだろう。モータースポーツを見る、語るとは、それを探す営みにほかならないのである。

 新しいシーズンの始まりで幸運にも、われわれはその瞬間を見つけ出すことができた。普通ならしばしば見られる度重なるクラッシュによるレース中断や激しい順位争いがほとんどなかったことは、開幕戦のためにインディカーがそれをよりわかりやすく浮かび上がらせたということかもしれない。2014年のセント・ピーターズバーグは、31周目ターン1~2のわずか数秒間によって、勝利と敗北を残酷に頒かつことになる。覚えていられる場面は少ないが、これだけ覚えておけば十分だろう。ターン1の進入でアウトからペンスキーが並びかけ、インサイドを守って一度は抵抗したA.J.フォイトが切り返しのターン2で悲鳴を上げる。勝敗を鮮やかに切り取るたった1回の交叉点で、ウィル・パワーは勝利し、佐藤琢磨はそれ以上に正しく、敗れたのだった。

佐藤琢磨が引き戻したインディカー、あるいは楕円の中に敗れるということ

【2013.6.15】
インディカー・シリーズ第9戦 ミルウォーキー・インディフェスト
 
 
 135周目にレースリーダーの佐藤琢磨が迫ってくると、その位置を走っていることには違和感を禁じえなかったほどスピードがあったはずのエド・カーペンターは、勝機の喪失を意味する周回遅れの淵から逃れようと背後のA.J.フォイト・レーシングに対して抵抗を試みた。シボレーエンジンはほんのわずかながらホンダに対してストレートに優位があったように見え、ミルウォーキー・マイルが低いバンクで構成される抜きにくいショートオーバルコースであることも相まって、カーペンターはハンドリングに優れるこの日の最多ラップリーダーの攻撃を何度となく跳ね返した。劣勢の溝を埋めるフルコース・コーションをひたすらに切望するそのディフェンスは、結局152周目に犯したアンダーステアによって大きな減速を余儀なくされたことで実らなかったものの、それでもじつに17周にわたってリーダーを抑えこむことになる。佐藤の側に立てば、ここで3~4秒のタイムを失ったことが、直接的ではないにせよ、レースの大部分で最速だったにもかかわらず最終順位は7位にとどまった一因となった。たとえばこの5分強の時間をミルウォーキー・インディフェストの結果を左右した出来事のひとつとしてとりあげることは、さほど難しくない。

 リードラップを主張するリーダーに対して、エド・カーペンターはポジションを譲るべきだったのか。そうだれかが非難まじりに問うたとしても、意味のあることだとはいえないだろう。カーペンターはインサイドを窺う佐藤へと車体を寄せてラインの自由度を奪い、おそらくスロットルを緩めたりもしなかったはずだが、また進路を直接ブロックする、いわゆるチョップと呼ばれるような挙動を見せることもなかった。場所がオーバルであるかぎり、1周分の差をつけられた相手に対する態度としてそれは厚かましくはあっても不当ではなく、レースは厚かましさだけを理由にドライバーを罰することはない。乱気流に過敏に反応してしまう佐藤の車はオーバーテイクに向いているとはいえず、カーペンターを自力で周回遅れにする術を見出せなかった。遅い車を勝負の圏外へと追いやるのをリーダー自身の責任とするならば、勝てるはずだった佐藤の最終的なポジションはそれを早々に果たせなかった失敗に対するささやかな報復を受けた結果にすぎない。そしてまた、その敗北は特別に悔やまれることですらない。同様にオーバルの勝利を逸してきた中途のリーダーはこれまでに何人もいた。インディカー・シリーズではよくある光景で――よくある光景? 無邪気にそう書いてしまうことを躊躇し、戸惑いに自覚的になる必要があるはずだ。あるべき景色をこそ拒みつづけてきた2013年のインディカーをだれが読むかもわからない文章で記録しておく意味があるとすれば、見られなくなってしまったそんな場面を丹念に拾い集めて書き留めることでしかないのだから。

 伝統のインディ500をトニー・カナーンが制し、エリオ・カストロネベスが(車両違反の裁定を下されながらも)ハイバンク・オーバルのテキサスを圧勝した。ロード/ストリートコースで荒れ続けたシリーズが一方でオーバルコースによって沈静化されるように揺らいでいることは、インディカーを作る原型がいまだ楕円の形をしていると示唆しているかに見える。このことが保守性の凝集を意味しているのだとすれば、ミルウォーキー・インディフェストで起こった何もかももまた、そこが最も古いレーストラックであるという歴史や、マイケル・アンドレッティがその情熱によってプロモーターを引き受けて開催を復活させた経緯にふさわしく、オーバルにとって、つまりはインディカーにとってありうべき出来事だったといえるだろう。それどころか、目の前にむき出しのポルノを置かれたかのごとく象徴的な場面を突きつけられて、あまりの露骨さに少しうろたえても不思議がないくらいだった。この日勝利に値したのは3人だけ、マルコ・アンドレッティとライアン・ハンター=レイ、それから佐藤琢磨で、ひとりは残念ながらトラブルのために降り、ひとりは実際に勝利し、ひとりはオーバルによって敗北した。昨季のチャンピオンが他を寄せつけないスピードを誇った最終スティントは、速かった事実を称えればよいだけだから、とりあえず措こう。それよりも、勝つべきドライバーのひとりがまさに楕円の中に敗れ去ったことをこそ、絶え間ない問い直しにさらされてきたインディカーの観察者は称揚すべきではないか。遠方の視線を意識した舞台俳優のように大仰な身振りで、見ているほうが怯むほどあからさまにオーバルの敗北のすべてを演じきってみせた佐藤琢磨をこそ。

 エド・カーペンターの抵抗によって5秒以上のリードを吐き出した佐藤琢磨は、直後のピットストップを終えるとふたたび後続を引き離したが、周回遅れの隊列に追いついた183周目に強いルーズに見舞われてクラッシュしかかった。リーダーの座を失いはしなかったもののすでに車はバランスを欠きつつあり、そこまで95周をリードしたスピードには翳りが見えはじめていた。A.J.フォイトのストラテジストであるラリー・フォイトがひとつの決断を下したのだとしたら、198周目にライアン・ハンター=レイにパスされたときだろう。それは賭けに近かったはずだ。200周目、だれよりも早く佐藤をピットへと呼び戻し、バランスを直すべくフロントウイングを調整してコースに送り出したとき、レースはグリーン・フラッグの状況下で行われていた。同じ条件で進行すれば最後には帳尻が合うと考えるのは楽観的だったかもしれず、やはりギャンブルに身を委ねるにはライバルのピットタイミングは遠すぎた。佐藤に追随するものはいないまま、はたして210周目、アナ・ベアトリスの単独クラッシュがフルコース・コーションを導いて、ほかのドライバーはスロー走行のなか悠々と最後の給油を行う。レースが再開された220周目に佐藤がいたのは、周回遅れの集団に囲まれた7番手の位置だった。

 最後のピットストップを通常どおりに行えなかったことは、それだけで弱さだったということはできる。だがカーペンターに引っかからなければ集団に追いつくタイミングも変わって、183周目のミスはなかったかもしれない。その2つの問題で合計10秒近い時間を失わなければハンター=レイの追撃はもう少し遅くなり、最後のピットをほかと揃うまで我慢することで1対1のリード勝負に持ちこめた可能性もまた高かった。いわばひとたび周回遅れを処理しそこねたことでミスが起こり、ピットのタイミングを狂わされ、コーションの罠に誘導された、佐藤琢磨が優勝を逃したのは、そういうレースによってだった。

 しかしこれほど正当で魅惑的な敗北がどのくらいあるというのか。ポルノのように露骨に、佐藤はオーバルでの負けかたを示しきった。すなわち弱者の抗力に翻弄され、緑の地平へとゆくりなく飛びこんでしまい黄に能わない――よくある光景だと書いたように、オーバルで負けるとは、オーバルで正しく敗者になるとは、そういうことなのだ。勝利に値していた佐藤はオーバルの構図の中に踏みこんでいくことでレースに敗れ、またその意味においてミルウォーキーで敗北に値したのは佐藤だけだった。実際、このレースをほかのだれが負けえただろう。表彰台に登ったエリオ・カストロネベスもウィル・パワーも、優勝したハンター=レイのチームメイトも、気づけば1桁の順位にいただけのチップ・ガナッシの2人も、敗れ去る資格などいっさいないまま、ただ自分の場所でレースを終えたにすぎない。最後のリードラップを構成した彼らの姿はほとんど不愉快なほどに頽廃的で、インディカーを掬いあげる役割を果たすことはなかった。ただひとり、オーバルの敗北すべてを――ありうべき形で、あからさまに――引き受けた佐藤だけが、その任を担ってみせたのだった。

 この結果が意味するところを探るとすれば、おそらくこういうことだろう。たとえば、佐藤琢磨を嫌いと公言してはばからないある人は、(それがいかなる角度においてもブロックではなかったというこの記事と共通の見解を有しながらも)エド・カーペンターの抵抗を「正義の鉄槌」として、インディカーを表象しない日本人ドライバーからシリーズを救ったと捉える立場が存在するだろうと述べる(「成長した三人。そして二人の面接官」『モタスポ板住民のまよいまいまい』2013年6月17日付)。だがそこに起きたのがあるべき姿の表出なのだとすると、カーペンターと佐藤は対立ではなくむしろ意図せぬ共犯関係にあったといわなければならない。佐藤は周回遅れに抗われた最速のリーダーとして、カーペンターは厚かましくリーダーをさえぎる弱者として、互いにインディカーの見慣れた光景を立ち上らせ、敗北をも演出した。頽廃に呑まれかけたこのレースを救ったのは一方的な正義の裁きではなく、2人が無自覚のうちに共謀した振る舞いにほかならない。そしてそこに象徴的な瞬間を見るのであれば、もう佐藤を異邦人として扱えるはずはないのだ。オーバルで負けるとはそういうことなのだと、もういちど繰り返すことにしよう。正しい敗者を放逐することなどできはしない。ロングビーチの勝利よりサンパウロの苦闘より、ミルウォーキーの軽やかな敗戦こそ、佐藤琢磨とインディカーの融和をなによりも証明したのだというべきなのである。

 このミルウォーキーは今後への示唆をあらわしていただろうか。車の性能がどうなるかなどわかるはずもないが、少なくとも精神性についてはそうだったと肯けよう。正しい敗者となったことで、佐藤琢磨は浮ついたトップ5でなく、正面のコンテンダーとしてインディカーのリストに載った。10月のフォンタナが終わったときにまさかポイントリーダーになっているとしても、われわれがそれに驚くべき理由はもはやたしかに減っているように見えると、いまはささやかに付け加えておくべきかもしれない。