帰ってきた5月のインディアナに愛されて

【2021.5.30】
インディカー・シリーズ第6戦 第105回インディアナポリス500

(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ)

インディアナポリス500が速さを頼む最後の25周に差し掛かったとき、最終周を告げるホワイトフラッグは悪魔の誘いになるのではないかと予感したのである。コース上が、燃費を絞ってゴールまで辿り着く可能性に一縷の望みを賭けた見かけ上の上位集団と、序盤からずっと先頭付近で戦うスピードに優れた集団の2群に分かれているころ、前者は徐々に分が悪くなって勝算を失い、優勝争いが事実上後者に絞られつつある時間帯のことだ。2年目にしてチップ・ガナッシ・レーシングのシートを射止めシリーズ初優勝も果たした24歳のアレックス・パロウと、すでにレギュラードライバーの座からは退き、13年をともにしたチーム・ペンスキーとも別れてメイヤー・シャンク・レーシングからスポット参戦している46歳のエリオ・カストロネベスが、緊迫した隊列を組んでいるのだった。

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エリオ・カストロネベスのいない春、まとまりのない恋文

Photo by: Chris Jones

【2018.3.11】
インディカー・シリーズ開幕戦 セント・ピーターズバーグGP

まだ20歳前後の感情的な若者だったわたしにとって、だからエリオ・カストロネベスはグレッグ・ムーアの永遠に戻ることのない代理にすぎなかったのである。ムーアはわたしが最初に知ったレーシングドライバーだった、というといささか嘘くさく響くだろうか。むろん、その名はわたし自身がはじめて目にしたドライバーのものではない。多くの日本人同様にわたしもレースを知った入り口はF1だったから、フジテレビで覚えた名前はたくさんあったし、また雑誌などを読んでその走りを想像する者もいた。たまたま家のケーブルテレビでCARTを見始めたときも、ムーアはまだデビューしていなかったと思う。その意味でムーア以前に目の前を走ったドライバーは何人もいたのだが、乱暴な言い方をするなら、それらはわたしにとってみながみな既製品だった。日本が熱狂的なF1ブームに浮かれていたころ、アイルトン・セナやアラン・プロストはとっくに別のだれかの英雄になっており、あるいは米国に目を移してみたところで、マイケル・アンドレッティやアル・アンサーJr.は応援したいドライバーではあってもすでに確立された存在だった。彼らの物語は自分以外の場所で消費され、心の中に収めることはできなかった。それがわたしには物足りなかったのだ。
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不公平なほどの公平、あとの者は先になり、先の者はあとになる

【2017.7.16】
インディカー・シリーズ第12戦 インディ・トロント

 
 
天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。
彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。
それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。
そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。
そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。
五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。
彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。
さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼びなさい。そして最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。
そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。
ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。
もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして
言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。
そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。
自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。
自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。
このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。(『マタイによる福音書』章20より)
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一瞬の情動がすべてを制する推進力となる

【2017.7.9】
インディカー・シリーズ第11戦 アイオワ・コーン300

 
 
 レース開始から間もないうちにポールシッターのウィル・パワーを交わし序盤の大半をリードしていたエリオ・カストロネベスが97周目に失速して、初優勝を狙うJ.R.ヒルデブランドに抵抗もできないまま抜かれ、パワーに対しても再度の先行を許したとき、わたしは何度目になるかわからない落胆が心の内に広がっていくのを留めることができずにいた。チーム・ペンスキーに移って18年目、もう42歳になる大ベテランについては折よく前回の記事で取り上げたばかりだ。通算29勝、インディアナポリス500マイルを3度も制したブラジルの英雄は、もう3年以上も優勝から遠ざかっている。その間11度もポールポジションを獲得し、決勝で支配的にラップリードを重ねる時間帯もしばしばあって、勝てる機会はいくらでも巡っていたはずなのに、そのすべてで表彰台の頂点には登りそこねた。つぶさに見ていると、短い時間で繰り出せる最大の速さが衰えていないことは間違いないが、最終スティントや最後のピットストップ直前など、勝利のためにもっとも重要な局面ではいつの間にか集団のドライバーのひとりになっていて、周囲との違いに目を瞠る姿が現れてこないのだ。そこで決定的な差が生み出せないからこそ、上位でのゴールが多いのにもかかわらず一番上にだけは届かない。チームメイトが優勝を重ねながら彼だけが疎外されているのはたぶんそんな理由なのだろうと、ずっと考えていた。だからこそ、難しいショートオーバルコースのアイオワで一瞬にしてスピードを失い先頭を明け渡した様子は、彼の典型的な場面に思えてならなかったのである。こうしてひとたび順位を譲ってしまえば、ずるずると後退しないまでも途端にサーキットの風景と化して馴染んでしまうのが、この3年間のほとんどで「驚きのない速さ」しか持ち得なかったカストロネベスだった。3位か4位、ひとつ間違えると6位、うまくいって2位……あのときわたしが想像したのは何度となく見てきたそういう結末である。”At the end of the day, second place is not bad.” 終わってみれば2位だって悪くはない、2015年のロングビーチで数少ない完璧なレースを展開しながら不運にも敗れてしまったときはこう口にしたものだったが、アイオワのレース後にもまた、哀愁と諦念が綯い交ぜになった笑顔で同様の言葉が溢れてもおかしくはなかった。勝てたはずのレースだった。「でも」というわけだ。
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勝利はそれをもっとも欲する表現者へと引き寄せられる

【2017.6.25】
インディカー・シリーズ第10戦 コーラーGP(ロード・アメリカ)

 
 
 開幕から10戦してじつに半数以上に及ぶ6度もフロントローに並び、うち3回はポールポジションを記録している事実だけを伝えたとしたら、経緯を知らない人はよほど優れたシーズンを送っているに違いないと感心するだろう。それもそのカテゴリーがインディカー・シリーズで、市街地、ロード、オーバルと性格のまるで異なるコースのいずれでも「P1アワード」を受賞しているとなれば、もう選手権を支配していると納得したとしてもまるで不思議はないはずだ。なるほど、そんなに速いならぶっちぎりのポイントリーダーだろうね――ところが、聞かれた側はこう答えるほかない。いいや、せいぜい3位かそのあたりだよ。おや、では運悪くリタイアが多いのか――別に、1回きりだ。ライバルが強いとか――強敵はもちろんいるが、飛び抜けた存在がいるわけでもない。じゃあ、優勝は?――ないね、ずっとない。いったいどういうことだ?――たとえばロード・アメリカにその答えは見つかるかもしれない。予選でエリオ・カストロネベスが今季3度目の最速タイムを記録し、決勝を先頭からスタートすることが決まっても、それはまだチェッカー・フラッグに対して示唆を与える結果にはなりそうもなかった。彼は今季2度、それどころか過去3年間で11回獲得したポールポジションのすべてで優勝に失敗している。ポール・トゥ・ウィンのみならず、優勝すらもう3年以上巡り合っていない。自分自身の問題か不運か理由はさまざまあれど、そのようなドライバーを予選の速さだけで信用するのは難しいものだ。近年のカストロネベスは明らかにレースで一貫性を欠いてきて、どう期待したらいいかわからないドライバーになっている。そしてそれは結局、ウィスコンシンの週末でも同様だった。
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勝者は正しい中からしか選ばれない

【2016.6.4-5】
インディカー・シリーズ第7-8戦 デュアル・イン・デトロイト
 
 
 土曜日のレース1で42周目にフルコース・コーションが導入されたとき、ポールシッターにして、そこまで倦怠的ですらあるほど完璧だったシモン・パジェノーが最後の給油へと向かったのは自然な成り行きで、当然の正解であることを信じて疑わなかった。そのときチーム・ペンスキーは4位までを独占する態勢を築いてレースを支配しており、パジェノーとともに2番手のウィル・パワーと4番手のエリオ・カストロネベスを同時にピットへと呼びこんだのは同僚と公平に勝負させるためで、雨が降ってくることも予想されていたなか3番手のファン=パブロ・モントーヤをステイアウトさせ、チームとして安全に勝利を取りにいったのだろうと受け止めたものである。もちろん優先されるのはレースと選手権でともに首位をゆくパジェノーであって、その存在を中心に据えて取るべき行動を機械的に決めていけば作戦はなかば必然的に決定する、ペンスキーにとってはそういうレースだったはずだし、最後のスティントはそんな最速チームの仕上げをあくびを噛み殺しながら見ていればいいように思えた。パジェノー、今季4勝目おめでとう。近年まれに見るハイペースでの勝利は選手権を大きく引き寄せたのだと、そういう結論なのだろう。あるいは、もしかするとパワーがちょっとしたいたずらをしかけるくらいの波瀾はあるのかもしれない、とその程度だった。
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8月のエリオ・カストロネベスが祝福されるのなら

【2015.4.19】
インディカー・シリーズ第3戦 ロングビーチGP
 
 
 ほんの1週間前、ルイジアナGPのことを書いた記事で、意味を求められない2位を得てしまったエリオ・カストロネベスについて、舞い込んできた結果の幸運さゆえにむしろ今後を信じきれないと結んだとき、当の本人はすでにロングビーチでポールポジションを獲得したあとだったのだ。だれよりも短い時間で純粋にたった1周を走りきる速さはわたしの不明をみごとに嗤笑し、記事はもっとも冴えたやりかたで浅はかさを証明されたといって構わないわけであるが、しかし予選結果を知ったうえでなお、わたしはノーラ・モータースポーツ・パークでの週末から導く今季の展望がなんら変わるものではなく、当初の予定どおりその小文を書き上げることに躊躇する必要はないと確信を持っていた。
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歓迎すべきか、忘れるべきか

【2015.4.12】
インディカー・シリーズ第2戦 ルイジアナGP
 
 
 テレビ画面の向こうに見るかぎり、ルイジアナ州最大の都市ニューオリンズから南西に約10マイル、Lake Cataouatche(カタウアッチ湖と書くのが近いのかどうか、いまひとつ確信は持てない)の北岸に位置するノーラ・モータースポーツ・パークは、4年前に開業したばかりというわりに新しさを感じさせてこないサーキットで、初開催とは思えないほどすんなりインディカー・シリーズの風景になじんでいる。F1で次々と採用されるヘルマン・ティルケ設計のサーキットをはじめ、FIAグレード1に準ずるレーシングコースの多くが正規コースの外まで黒いアスファルトで舗装しているのにすっかり慣らされてしまった身にとって、敷地の大部分が緑で覆われ前近代的な風情を漂わせるノーラはもはや新鮮にさえ映り、これが米国のロードコースのありかたなのだという感慨を呼び起こしもするのだった。
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敗北を受け入れてそこへ到る道を歩むということ

【2014.8.30】
インディカー・シリーズ最終戦 MAVTV500
 
 
 レースを解釈する方法など勝手で、どういった理屈であっても付けようと思えば付けられるものだが、とくに最終戦のことをぼんやり考えるにあたっては、その年のシーズン全体をついひとつのレースに投影させてしまうことを避けて通れないようだ。フォンタナの予選が終わってから決勝のグリーン・フラッグが振られた直後までのあいだ、シーズン後半になると中継の画面にしばしば登場する「Points as They Run」――今走っているのと同じ、すなわち現状の順位のままレースが終わったと仮定した場合に得られる仮想のポイント――はエリオ・カストロネベスがチームメイトのウィル・パワーを逆転しチャンピオンになることを示していたが、その状態を500マイルも先のゴールまで維持し続けるという果てしない運動を想起したとき、来年40歳を迎えんとするベテランの走りがポール・ポジションを獲得するほどの潜在能力を持っていたにもかかわらずあまりに弱々しく頼りないものだと気付かされるまで、そう時間はかからなかった。1周目の半ばで早くももう一人の同僚であるファン=パブロ・モントーヤに先頭を譲ると、2~5周目にはなんとかその座を取り戻したものの、6周目以降は集団に呑まれて苦しい順位争いにさらされるなど、結局のところ選手権を逆転するためにほとんど絶対の条件だと思われた優勝を期待させるスピードを持つには至らずレースは進んでいった。当初モントーヤとの先頭交代を繰り返して燃費を稼ぐ作戦かとも勘違いさせるほどあっさりとポジションを譲ったのは、結局それが掛け値ない実力にすぎなかったのだった。ゴールが十分に近づいてきたと言っていい144周目から178周目の比較的長い間ラップリードを刻んで、傍目にはもう一度チャンスを得たかもしれないと思われていた時間帯でさえ、カストロネベスの選手権は具体的な形を伴うことなく茫漠なままで、最後には例年に比べ全体的に多かったペナルティを自分自身が受けたことによって、チェッカー・フラッグが振られるより一足先に、本当に手にしたかったもの、つまりこのレースの優勝ではなく選手権を得るための戦いは掻き消えていったのである。守る手立てのない仮初めのリーダーの座と、実を結ぶことのない淡い希望、あるいは計算上の可能性よりもずっと小さな現実の蓋然性。フォンタナに横溢したカストロネベスのありかたはそう表現できるものだった。そして、だとするならば2014年のインディカー・シリーズもまたそんなシーズンだったのだと、両者を重ね合わせずにはいられないでいる。
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記憶を抱いて選手権の美しい彩りに焦がれている

【2014.8.24】
インディカー・シリーズ第17戦 ソノマGP
 
 
 去年のいまごろ、というのは暦そのものではなくインディカーが最終戦を迎えんとするシーズンも押し迫ったころ、という意味だが、そんな時期にわたしはエリオ・カストロネベスについて批判的ととれる記事を繰り返し書いている。6月のテキサスで優勝し選手権のリーダーに浮上した彼が、それからというもの明らかに地位に恋々として保守的な走りに終始するようになり、なによりの魅力である狭いスペースに飛び込んで自らの道を切り開いていく攻撃性と、でありながらまるで険のない愛嬌の両方ともをすっかり失ってしまっていたからで、チャンピオンとはとても呼べそうにない4ヵ月間の振る舞いを「頽廃」の2文字に込めながらインディカーのことを綴っていたのだった。検索してみたところ、6イベントにわたって回顧記事で「頽廃」の語を使用しているのだから、いまにして思えばよほどのキーワードだったようだ。
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