帰ってきた5月のインディアナに愛されて

【2021.5.30】
インディカー・シリーズ第6戦 第105回インディアナポリス500

(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ)

インディアナポリス500が速さを頼む最後の25周に差し掛かったとき、最終周を告げるホワイトフラッグは悪魔の誘いになるのではないかと予感したのである。コース上が、燃費を絞ってゴールまで辿り着く可能性に一縷の望みを賭けた見かけ上の上位集団と、序盤からずっと先頭付近で戦うスピードに優れた集団の2群に分かれているころ、前者は徐々に分が悪くなって勝算を失い、優勝争いが事実上後者に絞られつつある時間帯のことだ。2年目にしてチップ・ガナッシ・レーシングのシートを射止めシリーズ初優勝も果たした24歳のアレックス・パロウと、すでにレギュラードライバーの座からは退き、13年をともにしたチーム・ペンスキーとも別れてメイヤー・シャンク・レーシングからスポット参戦している46歳のエリオ・カストロネベスが、緊迫した隊列を組んでいるのだった。

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リナス・ヴィーケイはインディカー・シリーズに義務を負わせた

【2021.5.15】
インディカー・シリーズ第5戦 GMR GP

(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ・ロードコース)

書くべきドライバーのリストとでもいうようなものを、心の内に備えてある。厳密に順位づけして並べているわけではなく漠然とした印象程度のものだが、レースや選手権の結果とはまた別に、たった一度だけ目を瞠る運動を表現したり、きらめく速さを発揮しながら武運つたなく敗れてしまったり、たとえその瞬間には儚く消えたとしても、いつか言葉を費やさねばならぬのだろうと確信される才能の一片を見つけたとき――あるいは見つけたと思い込んだとき、そのリストに名前を載せる。どういう形で記事にするかは決めない。しばらく温めておいて、いざ大きな結果を得たときに書くこともあれば、敗北に感ずるものを得て一気呵成に書いてしまうこともある。数年前なら、リストの筆頭に上がるのはシモン・パジェノーであり、ジョセフ・ニューガーデンであった。彼らの運動は次代の主役が誰であるかを明らかに物語っており(後出しの理屈でないことは、当時の記事を参照すればわかるだろう)、事実、後にインディカー・シリーズの年間王者へと上り詰めるに至った。あるいは去年であればアレックス・パロウで、スペイン人でありながらインディカー参戦を熱望して日本から米国に渡った複雑な経歴を持つ彼は、デビューから3レース目ですでに書かなければいられないドライバーの一人となったし、実際にわずか1年でチップ・ガナッシ・レーシングへ移籍を果たして今年の開幕戦で初優勝を遂げた。もちろんコルトン・ハータもそうだ(もっとも彼の場合は、才能が現れる前にあっさり優勝し、後になって本当の速さを見せるようになったから順序が逆ではある)。いまならたとえばF1からやって来たばかりのロマン・グロージャンだったりするだろうか。インディカー参戦からたった3度目の予選を走ったこのGMR GPでポールシッターとなったのだから、魅力は十分だ。あるいは、予選でいつも上位に顔を出し、レース序盤に目立つ場所を走っていながら、自らのミスやチームの不手際が多いせいでいまだ3位表彰台1回にとどまるジャック・ハーヴィーも、書かれるときを待っているかもしれない。今回のレースでも、3番手スタートからグロージャンのドラフティングを利用し、ターン1へのブレーキングでニューガーデンを抜き去ってみせた。

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Ambitious “Car” Magic

【2021.5.1-2】
インディカー・シリーズ第3戦 ジェネシス300(レース1)

インディカー・シリーズ第4戦 XPEL375(レース2)
(テキサス・モーター・スピードウェイ)

目の前の手品師がテーブルに敷いたベロア生地の敷布の上に箱から出したばかりの52枚のトランプを鮮やかな手つきで均等に広げ、上品ながら余裕綽々といった風情の笑みを浮かべ、どうぞ、お好きなカードを1枚選んでくださいと言うのだった。あなたはわずか逡巡したのち、何を選んでも大差ないだろうと考えて、規則正しく表向きに並んだカードの列から、ほとんど無作為に、真ん中少し右に位置するスペードの3に指を置いた。手品師は頷いて51枚を左手に束ね、選ばれたカードだけをテーブルに残す。スペードの3です、まちがいないですね? あなたが頷きを返すと、手品師は、たしかにあなたが選んだものだとわかるようになにか書いてもらいましょうか、と懐から文房具店でよく見かけるサインペンを取り出す。手渡された黒いペンをつい疑り深く検めてみたりもするがどうやらただの市販品で、キャップを外して余白に名前を書き入れることにする。あなたのお名前ですか? いやまあ適当な人名です。短いやり取りののち、手品師はまた首を縦に振ってスペードの3をあなたや周りで見守る観客に向け、穏やかな笑みを崩さずに、どなたかの名前が入った世界で唯一のカードがここにありますと告げ、デックの中央あたりに差し込んでぴたりと揃えた。52枚の束の一辺をぱらぱらと軽く弾き、手品師は言う。さて、あなたが選んだカードは非常に「アンビシャス」ですから、わたしが合図を出せば他のカードを押しのけて自分で上にのぼってきます。このとおり。指が打ち鳴らされる音が響き、次に一番上のカードが表に返される――スペードの3、サイン。

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ポールシッターが、ようやく正しいレースをした日

【2021.4.25】
インディカー・シリーズ第2戦

ファイアストンGPオブ・セント・ピーターズバーグ
(セント・ピーターズバーグ市街地コース)

たとえば、日本のF1中継で解説者を務める川井一仁が好んで口にするような言い方で、こんな「データ」を提示してみるのはどうだろう――過去10年、セント・ピーターズバーグでは予選1位のドライバーがただの一度も優勝できていないんです、最後のポール・トゥ・ウィンは2010年まで遡らなければなりません。“川井ちゃん”なら直後に自分自身で「まあただのデータですけど」ととぼけてみせる(数学的素養の高い彼のことだから、条件の違う10回程度のサンプルから得られた結果に統計的意味がないことなどわかっているのだ。ただそれでも言わずにいられないのがきっとデータ魔の面目躍如なのだろう)様子が目に浮かぶところだが、ともかくそんなふうに過去の傾向を聞かされると、飛行場の滑走路と公道を組み合わせたセント・ピーターズバーグ市街地コースには、逃げ切りを失敗させる素人にわからない深遠な要因が潜んでいると思えてはこないか。

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魔法使いのいないアラバマと、その物理的な帰結について

【2021.4.18】
インディカー・シリーズ第1戦

ホンダ・インディGPオブ・アラバマ
(バーバー・モータースポーツ・パーク)

よく知られているとおり、アラバマはジョセフ・ニューガーデンが、不運にも届いていなかった優勝にはじめて辿り着いたレースである。2015年だからもう6年前の出来事で、じゅうぶんに昔と言えるほどの時間が経ってしまったのに、当時のアラバマは忘却の彼方に置かれるのを拒み、いまだ印象深い光を放って脳裏に浮かび上がってくる。といってもそれは、その後のニューガーデンが積み重ねた偉大な事績を参照するから、つまりやがて2度のインディカー・シリーズ・チャンピオンを獲得する稀代の名ドライバーが初優勝を記録した重要な記念碑的レースだからではない。もちろんニューガーデンについて語ろうとするなら、「2015年のアラバマで初優勝を上げ」といった来歴はかならず挿し込まれるはずだろう。しかしあのレースは過去を振り返るそうした記述によって固着されて記憶されるのではなく、いつまでも、いま、この瞬間の運動として蘇り情動を揺さぶってやまないのだ。レースに付随する物語ではなく、ただレースそのものが美しい価値を褪せずに保ち続ける場合がある。2000年F1ベルギーGPでミカ・ハッキネンがミハエル・シューマッハを捉えたレ・コームがいまだその一瞬においてのみ語られるように、2011年イギリスGPでコプスへ進入するフェルナンド・アロンソのフェラーリF150°イタリアが赤い糸を引いて見えたように、2016年スーパーフォーミュラ菅生でセーフティカーの罠に嵌まった関口雄飛がレース再開後に優勝を取り戻していく過程に息を凝らすしかなかったように、昨年のインディアナポリス500マイルで佐藤琢磨がスコット・ディクソンを抜き去ったホームストレートの光景が、チェッカー・フラッグよりもはるかに強く優勝を確信させたように。年月が過ぎてもなお目にした瞬間の感情まで喚起されるレースは、けっして多くはない。

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選手権の意味をレースに還元すること、あるいは唯一なるジョセフ・ニューガーデン

【2020.10.25】
インディカー・シリーズ第14戦(最終戦)

ファイアストンGPオブ・セント・ピーターズバーグ
(セント・ピーターズバーグ市街地コース)

ジョセフ・ニューガーデンは是が非でもこのレースを勝たなければならなかった。レーシングドライバーならいつだって勝利を目指すべきだといった観念的な願望ではなく、もっと具体的で明確な目的、つまり2020年のインディカー・シリーズ・チャンピオンへと辿り着くためには、最終戦の優勝が限りなく細く、また唯一残された途だったからだ。本来ならその舞台となるはずだったラグナ・セカはCOVID-19のために中止され、開幕戦の開催を断念したセント・ピーターズバーグが代わりを引き受けた異常な秋で、例年であれば最終戦に設定される選手権得点2倍のボーナスはなくなり――シーズンの締めくくりという理由で他と変わらないロードレースのひとつだけに特別な地位を与える毎年のやりかたがそもそも正常なのかどうかは措くとしても――、スコット・ディクソンとの32点差を覆すのは難しい状況だった。条件は限られる。予選や練習走行で車を壊して出走できない事態にでもならない限り、最終戦のスタートが切られた瞬間に、少なくとも24位の6点は確定する。ニューガーデンにとっては3位の35点ではもう届かず、2位の40点を積み重ねたところで、ディクソンが22位になるだけで上回られてしまう計算になる。32点とはそれほどの差だ。現実的な可能性が残るのは優勝だけで、だからニューガーデンはこのレースを勝たなければならなかった。是が非でも。

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苦しみ敗れた2日間が、次代の王者を告げる

【2020.10.2-3】
インディカー・シリーズ第12−13戦

インディカー・ハーベストGP
(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ・ロードコース)

昨季、デビューからほんの2戦目であっさりと成し遂げた初優勝がフルコース・コーションの賜物だったとして疑いの目を向けていた人がいたとしても、いまやコルトン・ハータが次代のチャンピオンにもっとも近い存在になっていることを認めないはずがないだろう。かつてCARTとIRLで4勝を上げたブライアンを父に持つこの2世は、サーキット・オブ・ジ・アメリカズでちょっとした幸運に与った史上最年少優勝を上げた後、ロード・アメリカで予選最速タイムを記録し、そのレースではたったひとつのコーナーまでしか先頭を走れない苦い経験を味わったものの、ポートランドで2度目のポール・ポジションと、最終戦のラグナ・セカで2勝目を記録する最高の結果で新人の年を終えた。

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スコット・ディクソンは失敗によって姿を現す

【2020.9.12-13】
インディカー・シリーズ第10−11戦

ホンダ・インディ200・アット・ミッドオハイオ
(ミッドオハイオ・スポーツカー・コース)

しょせん素人がテレビの前に座っているだけで抱いた直感などあてにならないものだ。ショートオーバルを舞台としたボンマリート500の週末を見ると、土曜日のレース1では直前のインディアナポリス500マイルを制した佐藤琢磨が知性と速さを両立させた最高の走りを見せてスコット・ディクソンを追い詰めた一方、路面状態が急変した翌日のレース2では2人とも後方へ退けられたのだった。それはまるで、オーバルという緩やかなコースの共通性によって連続していたはずの2つの週末が、路面の変化によって乱されて突然に断ち切られた結果のように思われた。例年ならインディ500の翌週に行われるのは市街地コースのデトロイトなのだ。最初から連続性は明らかに断ち切られており、だから500マイルの歓喜を味わった勝者はほとんどの場合、次の週末には大敗を喫する。偶然の日程変更に見舞われた今年、その断絶はすぐにはやってこなかった。佐藤もディクソンも一貫したオーバルの中にいちどは高度な運動を継続し、しかし固定的なコースレイアウトではなく予測不可能な小さな状況の変化によってようやく、少しだけ遅れて断ち切られたのがボンマリート500の顛末だったと見えたのである。

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断ち切られなかったショートオーバルに佐藤琢磨は500マイルの自分さえ超えていく、あるいは日曜日の蹉跌

【2020.8.29-30】
インディカー・シリーズ第8−9戦

ボンマリート・オートモーティヴ500
(ワールド・ワイド・テクノロジー・レースウェイ)

インディアナポリス500マイルが終わると、少し気の抜けたままに次の週末が訪れる。もっとも偉大な日曜日から間をおかず、翌週にダブルヘッダーのレースが開催される日程はすっかり定番となったが、最高の栄誉に浴したドライバーたちの1週間後はたいてい奮わないようだ。デトロイトで2レースイベントを行うようになった2013年から昨年までの7年間14レースのうち、直前のインディ500優勝者が表彰台に登ったのは2018年レース2のウィル・パワーたった1度きり。1桁順位でゴールしたのも3人で5回だけで、2017年の佐藤琢磨がレース1で8位、レース2で4位に入るまでじつに5年ものあいだ、ベル・アイル市街地コースはことごとく500の勝者を下位へと沈めてきた。

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もう泣かなくたっていいだろう

【2020.8.23】
インディカー・シリーズ第7戦

第104回インディアナポリス500
(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ)

3年前に、彼がインディアナポリス500マイルを勝ったときに綴った文章(https://dnf.portf.co/post/108)を、少しだけ後悔している。あのレースが終わったあと、ずっと探していた佐藤琢磨のあるべき形がようやく見つかったのだと、高ぶる感情とともに彼のキャリアを辿り直して書くことをわたしは選んだのだった。英国F3チャンピオンの肩書を手に期待に満ち溢れたF1デビューを果たしてから15年の長きにわたって、彼はつねに希望と失望の交叉点にいた。折に触れて現れる明らかな才能の片鱗と、一方でその才能を覆い隠しかねない数々の失敗は、佐藤琢磨という輪郭をつねに曖昧にしたまま留めていた。どう見ても凡百のドライバーであるはずがないのに、積み重ねられた結果は寂しく、理想と現実の間にはいつも広く深い径庭が貫かれている。35歳で迎えた2012年のインディ500はまさにキャリアを象徴する結末に終わり、翌年のロングビーチ優勝も、弱小チームに訪れた短い夢以上ではなかった。近づいたり離れたりを繰り返しながら、しかしけっして重なり合うことだけはない、形而上の才能と形而下の運動。そう思ってなかば諦めつつも、断ち切りがたい恋愛にずるずると時間を費やした先に、2017年5月28日があった。あの日、佐藤琢磨はインディ500に優勝した。圧倒的な車の速さがあったわけでも、幸運に恵まれたわけでもない、才能をもって正しいときに正しい場所へと自らを導く完璧な美しい運動によって。それは、重ならなかったものが重なったとき、世界で最も偉大なレースにさえ勝つドライバーであることが証された日だった。ブリックヤードのヴィクトリー・レーンに、探し求めていた「真実の佐藤琢磨」はようやく見つかった――そんな趣旨の短文だった。

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