見損ない続けるわたしたちの視線によって、レースは生まれる

【2020.7.17-18】
インディカー・シリーズ第5−6戦

アイオワ・インディカー250s(アイオワ・スピードウェイ)

日曜日に行われたアイオワ250のレース2を、200周以上にわたってリードしたジョセフ・ニューガーデンが圧勝しようとしているころ、中継するGAORAの実況陣がその戦いぶりを絶賛している。昔は躍起になって走っていたのが今は落ち着きを得て、忠実に任務をこなすようになったといった内容で、ここ数年最大の敵として彼の前に立ちはだかり続けるスコット・ディクソンの姿を見て学んだようだ、と話は締めくくられるのだった。ニューガーデンはそれからゴールまで危なげなく数秒の差を保ったまま逃げ切り、遅まきながら2020年の初優勝を上げた。

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アレックス・パロウはターン1の先に5年後のインディカーを見る

【2020.7.11-12】
インディカー・シリーズ第3−4戦

REVグループGP・アット・ロード・アメリカ
(ロード・アメリカ)

砂煙が舞った。本人にとって念願だったというインディカーのデビューからまだ3レース目のアレックス・パロウが、右の前後輪を芝生に落としながらも臆せずに前をゆく相手の懐へ飛び込んだところだった。ロード・アメリカの土曜日、レース1で2度目のフルコース・コーションが明けた44周目のことだ。スペインから日本を経て米国へとやってきた奇妙な経歴の新人はリスタートとともに鋭く加速し、コース外にまで押しやられるほどの幅寄せにも委細構わず、自ら巻き上げた砂を置き去りにしてものの数秒でライアン・ハンター=レイに並びかけターン1の優先権を奪い取る。表彰台最後の一席を巡る3位争いが行われていた。

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不測のコーションが、またひとつ日常をもたらす

【2020.7.4】
インディカー・シリーズ第2戦 GMRGP
(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ・ロードコース)

昨年の5月、フランス人として99年ぶりにインディアナポリス500マイルを優勝したシモン・パジェノーは、その2週間前に同じコースのインフィールド区間を使用して行われるインディカーGPを制している。その前の年、2018年のウィル・パワーもまた、同じくインディカーGPとインディ500をともに手にして、歓喜の5月に身を沈めた。まだ世界がこんなふうになるとは思いもしなかったころだ。パジェノーは最終周のバックストレートで走行ラインを4度も変える決死の防御を実らせた果てに、一方パワーはフルコース・コーションに賭けた伏兵が燃料切れになってピットへ退いた後に、チェッカー・フラッグのはためくフィニッシュラインを真っ先に通過していった。激動、あるいは静謐。対照的な幕切れは、しかしどちらも感動的で感傷に溢れた、見る者の涙を誘う初優勝だった。インディカーのあらゆる感情は、5月に溢れ出して引いていく。

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スコット・ディクソンの優勝にインディカーの日常は取り戻される

【2020.6.7】
インディカー・シリーズ開幕戦 ジェネシス300
(テキサス・モーター・スピードウェイ)

6月になった。もちろんこんな形での開幕を望んだわけではなかったし、その理由について触れなければならないことも厭いたくなる。レースはどんなときも自由で、社会のあらゆるしがらみから解放されてただそこにある、だから自分はサーキットに現れる一瞬だけを発見し、切り取り、言語化して書き付ければいいのだとずっと思ってきた。いまその気持ちに変化が生じたわけではないが、世界に新しく拡がった病がレースという営みそのものを想像もしなかった側面から襲い、壊したために、意図的に装っていた純粋さは脆くも崩れてしまった。レースは社会の情勢に左右される――社会はレースを行わない決定をしうる。コースに現れる運動だけがすべてではない。当たり前のことだが、考えたくなかった現実でもある。決定的な解決、とまではいかずとも緩和の手立てが見つかるまで、COVID-19は、ほかの何もかもに対してそうするようにレースをも脅かし続けるだろう。自分の愛する競技に、競技とは別の不純物が不可避に侵入してくる。セント・ピーターズバーグの中止(関係者の努力によって、これはシーズン最終戦への延期へと振り替えられた)が決まった3月12日を境に、すべてはそう変わった。たとえばこのテキサスについて書こうとするなら、枕詞のように「COVID-19の影響でシーズン開幕が延期された2020年インディカー・シリーズの第1戦」と註釈をつけないわけにはいくまい。たかがその程度の感傷が現実の命の危機に比べればとんでもなく軽々しいものだとわかっていても、そう書きつける瞬間に突きつけられるレース以外のなにかに純真を汚される気がして、やるせなくなる。

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ラグナ・セカの対照が、次代を導いている

【2019.9.22】
インディカー・シリーズ第17戦 グランプリ・オブ・モントレー
(ウェザーテック・レースウェイ・ラグナ・セカ)

不明を恥じねばなるまい、と書き出せるのはなんと喜ばしいことか。前回のポートランドで、2度目のポール・ポジションを獲得しながらも決勝ではタイヤの使い方に難を抱え、少しずつ劣勢に追い込まれて4位に終わったコルトン・ハータについて、おなじく先頭からスタートし大敗したロード・アメリカからの成長を大いに認めつつ、こう書いたのだった。「次の最終戦で彼は「普通のレース」をするだろうし、来季もたぶんそうだろう。初優勝のような幸運に恵まれて実力を超えた望外の結果を手にする日や、反対に何もかもがうまくいかない日が訪れるかもしれないが、そんな「完璧ではない」日常はまだしばらく続くに違いない」――。速さはある。デビューからたった3戦目で、多少の幸運に与った結果として最年少優勝記録も更新した。19歳にして天性の才能を疑う者などすでにいない。ただ、だとしても、運の要素の介在しない展開を正しく戦い抜き、後続を封じきってみせるような完璧な日は、まだしばらくやって来ないと思っていた。今季を振り返ってみればハータ自身の浮き沈みは激しく、所属チームの規模もけっして大きくはない。そういう若手の常で、きっと何度も想定外の出来事に翻弄され、持っていたはずの速さがなぜか消え去る失望を繰り返し、しかしそのたびに前を見据えて、やがて本当の意味で資質を証明する優勝へと近づくキャリアを歩んでいくのだろう。経験が浅い一方で未来に多くの時間を宿す若者は、そんなふうにひとつずつ成長するしかないと信じていたのだ。

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コルトン・ハータは一段だけ進歩の階段を登った

【2019.9.1】
インディカー・シリーズ第16戦 グランプリ・オブ・ポートランド
(ポートランド・インターナショナル・レースウェイ)

インディカー・シリーズのカレンダーに復帰して2年目を迎えたポートランドは、波瀾を含んだ幕開けとなった。選手権を争うドライバーがことごとく予選の早いラウンドで敗退したのだ。ポイントリーダーにして2年ぶりのシリーズ・チャンピオンを見据えるジョセフ・ニューガーデンと2位のシモン・パジェノーは簡単に第1ラウンドで姿を消し、それぞれ13番と18番グリッドで確定した。上位の失策に乗じたかった3位のアレキサンダー・ロッシまでもが第2ラウンドで敗退し、計算上の可能性は残るが現実的に逆転は難しいと見られるウィル・パワーとスコット・ディクソンがなんとか2番手と3番手に収まるのみだったのである。シーズン残り2戦の大詰めになってさえ上位陣が突然の低調に見舞われるのは一貫性の乏しいインディカーの愛すべき一面――ポコノのスーパースピードウェイ、1.25マイルオーバルのゲートウェイを経て今回がまるで性質の違うロードコースだから、もちろん日程からして「一貫」などしていない――ではあるものの、この予選結果は、選手権の観点においては大きな動きのない週末となる展開を予想させるものだった。得点差を次の最終戦に繰り越すためのレース。いわば、数字の計算で構成される選手権という擬制のシステムをしばし忘れ、コース上で起こる出来事だけに目を向けるようしむけた予選といった趣だったろうか。(↓)

 

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ターン1の5ワイドが、佐藤琢磨の優勝から余分な文脈を切り離した

【2019.8.24】
インディカー・シリーズ第15戦

ボンマリート・オートモーティブ・グループ500
(ワールドワイド・テクノロジー・レースウェイ)

見た目の様子こそまるで違っていたが、グリーン・フラッグが振られて数秒、2列ローリングスタートによって火蓋の切られたワールドワイド・テクノロジー・レースウェイ(旧称に倣って以後は「ゲートウェイ」と記そう)に、わずか6日前のポコノでの苦い出来事が蘇るかと思われた。5番手からレースを始めた佐藤琢磨が、フラッグに加速を合わせられなかったのか一斉に後続から攻め立てられ、狭い――先週のポコノよりはるかに狭い――ターン1の手前で目を疑う5ワイドの中心に置かれた場面である。スタートが告げられた瞬間にはすでにジェームズ・ヒンチクリフが内に潜り込んでおり、2~3秒のうちにライアン・ハンター=レイがすぐ外に並びかけた。最内ではアレキサンダー・ロッシが空間を窺い、大外にはフェリックス・ローゼンクヴィストが勢いよく迫っている。佐藤はその文字どおり真ん中で身動きが取れず、さらに目の前のスコット・ディクソンにも行く手を阻まれる形となってどうにも退かざるを得なくなったようだった。だが以後のレース中にも何人もの足を掬ったゲートウェイの滑りやすい路面はこのときもまったくグリップせず、コーナリングに備えて外へと寄ってきたヒンチクリフに煽られた佐藤はわずかに挙動を乱す。さらに集団の中でダウンフォースを失った影響もあったのか、アンダーステアの症状をきたして外へと膨らみながら失速したところに、いったん自重ぎみに進入を遅らせてきていたハンター=レイが重なった。佐藤の右後輪が、ハンター=レイの車の側面に入り込み、サイドポンツーンに触れるのがわかった。それこそはあの破局を想像する一瞬だったが、内でかろうじて制御をとどめた佐藤と危険を察知して外へと逃げたハンター=レイの軌跡がもう交錯することはなく、両者は無事にターン2へと走り抜けていった。佐藤は大きく速度を落とし、ほんの数百メートルを走っただけのあいだに、順位を8つも失った。彼にとって困難なレースの始まりで、2時間後に優勝を手にするなど、まだ思いもよらなかった。(↓)

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ウィル・パワーの復活は2年前の自分に随伴していた

【2019.8.18】
インディカー・シリーズ第14戦 ABCサプライ500
(ポコノ・レースウェイ)

最近、どうも昔話を書きすぎていると思う。ただしかたあるまい、インディカーを走るドライバーたちの振る舞いが、否応なくまるで過去から照射された光線によって投げかけられた影であるかのように見えるのだから。ミッドオハイオのジョセフ・ニューガーデン、インディアナポリス500マイルにおけるシモン・パジェノー、ウィル・パワーが演ずるトロント。ロングビーチに見たアレキサンダー・ロッシの柔らかい挙動もあるいはそうだった。モータースポーツとはそういうものだろう。おなじ場所を、毎年飽きもせず、何十周、何百周とただ回り続ける競技。なじみのない人々にとって奇異な行為にさえ映るらしい単調な繰り返しは、しかしむしろおなじ動作を高度に繰り返す、反復しているからこそ、その場所に重層的な歴史を形成し、記憶の索引としての機能を獲得する。「いま、このレース」を見つめるたびに、「あのときの、あのレース」の瞬間が鮮明に蘇って美しい重なりを生む。おなじコーナーにおなじ運動が再起し、おなじ場面を浮かび上がらせてまた消える。そんなふうに、彼らドライバーは、またわたしたち観客自身が、レースという営為の中に過去と現在とが対応する写像を作るのだ。そこに流れる時間を、物語を味わう愉悦が、きっとこの競技にはある。だから、今回もまず2017年のトライオーバルについて思い出さねばならない。ウィル・パワー、すなわちオーバルで勝つべきドライバーが、紆余曲折を経て正しい結果を得た500マイルの長いレース。やがてインディ500を優勝する未来をはっきりと確信させ、9ヵ月後に本当に実現させる契機となりえた、ポコノ・レースウェイでの戦慄すべき速さについて。

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ジョセフ・ニューガーデンのスピンは、彼の一貫性を証明する代えがたい失敗だった

【2019.7.28】
インディカー・シリーズ第13戦 ホンダ・インディ200・アット・ミッドオハイオ
(ミッドオハイオ・スポーツカー・コース)

2017年のゲートウェイで、ジョセフ・ニューガーデンはシモン・パジェノーと接触した。序盤から圧倒的な速さを見せて百数十周をリードしていたにもかかわらず、フルコース・コーション中に行われた最後のピットストップで同僚に逆転を許したレースである。2番手に下がってしまったニューガーデンはしかし、217周目に自己最速タイムを記録して、リーダーの後ろについたのだった。パジェノーは同じチームに移籍してきてまだ1年目の若者をすでに大きな脅威とみなしており、ターン4の立ち上がりからホームストレートを走るあいだ、ずっと警戒をもって内側を閉めていた、1台分か、続くターン1の進入でそれより少し狭くなる程度に。コントロール・ラインを過ぎターン1へと至るとき、傍目にそこは潜り込める場所には見えず、攻める側が自制していったん撤退し、ふたたび戦いをやり直すべき局面に思われた。だがまさにパジェノーがコーナーへ進入しかかった瞬間、ニューガーデンは路面に積もった埃をタイヤで巻き上げながら、委細構わず狭い隙間に鼻先をねじ込んだのだ。車体半分だけ並びかけ、コーナリング空間を確保しようと車をかすかに右へと振る。ほんの30cm程度の動きだったものの、すでにじゅうぶん接近していた2台は触れ合った。ニューガーデンの右前輪と、パジェノーの左側面中央付近。接触した部位どうしを見れば先行側にまだ優先権があったと察せられるが、200mphを超えていただろう速度で内側から旋回の軌跡を乱されたパジェノーは遥か外の壁に進路が向き、スロットルを戻さざるを得なくなった。先頭はふたたびニューガーデンのものとなり、レースは事実上決着する。路面のグリップが低く、空力的にも過敏で前の車に近づけないために追い抜きが困難だったゲートウェイの静かな流れはこの一瞬だけ突如として暴れ、そしてすぐに静まった。パジェノーは3番手にまで後退し、ゴールまで何かが起こることはなかった。

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ウィル・パワーは速さの内にある精神を暴かれた

【2019.7.20】
インディカー・シリーズ第12戦 アイオワ300
(アイオワ・スピードウェイ)

先週のトロントでウィル・パワーが犯した2度のミスについて考えると、批判的に溜息をつくよりまず悲痛の念が先に立つ。傍目にはとうてい無理なパッシングに臨んで周囲を巻き込みながら事故に至った暴発的な運動も、ブレーキをロックさせてタイヤバリアへほとんど垂直に突き刺さる単純な失策も、彼がいま直面している状況と、困難をなんとしてでも打破したいと切に願う気持ちを思えばありうべきことだと同情的に受け止めたくなる。まして、フロントノーズがバリアに深く食い込むに至りながらもなお諦めきれずに脱出を試み、一帯に白煙が立ち込めるほどタイヤを激しくホイルスピンさせつつ後退しようとして果たせなかったその姿を見れば、彼を支配する感情が、周囲に悪意をばらまく苛立ちではなく、ただ自身の内側に向いたやるせない寂寥感なのではないかと想像して、観客側でしかない人間でさえ心を痛めてしまうのだ。今日もまた、これまでとおなじように、なにも成すことができなかったという失望。もはや笑うしかない諦め。そうした哀愁が、不調に陥ったときのパワーからはよく見える。見えすぎると言ってもいいだろう。そのありかたはシリーズ・チャンピオンとインディアナポリス500マイルの両方を手中に収めた稀代のドライバーをことさら人間的な魅力で彩るが、同時に才能の鋭さとは裏腹の弱点として彼を突き刺している。

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